昨夜の「報道ワイド日本」にゲスト出演された稲田朋美代議士は、「次期首相には、貧乏になろうとも道義大国を目指して欲しい。」と語っておられた。我が意を得たりで、頼もしい限りである。
時代の要求に応えて、それを目指す指導者・仕組が出現する。これは、信仰に近い私の考え方だ。
政治、経済、文化のあらゆる分野でリードするのは、一部の限られた人たち。その意味で、大多数の一般人は、否応なしに従わされているだけ、ともいえる。それでも、我慢の限界を超えたら、一般庶民がそっぽを向きはじめる。“世論”がリトマス試験紙の役割を果たして流れを作り、ある日突然、世の中が劇的に変化する。
『教育勅語』が発せられ、道義立国の道を進んだのは、時代背景と無縁ではなく、戦後、経済大国の道を選んだのも、当時の人々がそれを望んだからだ、と思う。
政治に限ってみると、確信的な保守派・革新派は各々一割未満に過ぎない。八割強の一般庶民は、普段はどちらでもない。問題が投げかけられる都度、そのときの状況で右へ行ったり左へ行ったりする。いわゆる「靖国問題」なる世論調査が良い例だ。「冨田メモ」が出たら、反対が増える。逆に、小泉首相参拝の結果、今度は賛成に傾く。これが浮世の現実である。一般人が「靖国神社」のことばかり考えているわけないから、日々変わって当然だろう。世論の動向を参考にすれど、決して迎合してはならない。大切なのは、自分自身がどう考えるかだ。
『教育勅語』そのものの復活は難しくとも、その精神が蘇える土壌が出来つつある。なぜなら、時代が要求している、と感じているからだ。
これからの日本に期待しよう。
2006年8月30日(水)の記事
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