日泰間に共通点が多いのは、仏教の影響とばかり思っていたが、タイにおける道徳は、実は仏教以前の土着信仰によるところが大きいというのだ。田舎へ行くほど、いまなお色濃く残っている。自然界にはあまねく精霊(タイ語で「ピー」)が宿る、とする原始宗教である。日本の神道に重ね合わせたとき、八百万の神が現れ、なるほどと合点がいった。この信仰に基づいて、自然に対する畏敬と感謝の気持ちが育まれてきたのだろう。
日本ほど「ありがとう」という感謝の言葉であふれている国はない、と勝手に思い込んでいるが、タイでも同様である。しかも、拝まれて(合掌して)発せられたら、つい「いいえ、お互い様ですよ。」と完全に恐縮してしまう。この、お互い様という感情が己を謙虚にする重要なキーワードだと考える。一方、共産主義国家では、ほぼ死語同然になっている。唯物論には感謝の概念がないからだ。こうなるのは、自明の理と言わねばならない。
「古来、日本人の価値基準は、『それが、世のため、人のためになるか』にあったし、自分もそうありたい。」と自説を述べたとき、彼は「ぼくたちも同じ考えしているよ。」と、激しく同意してくれた。
「それにつけても、現代日本人は、先人が築いた財産を食いつぶすだけで、まことに情けない。」と水を向けると、彼は苦笑していたが、「ぼくの子供たちも一緒。何も考えてないよ。親に頼るばかりで、自分で考えなくなっている。」と、タイでも共通の悩みを抱えている様子であった。
2006年6月15日(木)の記事
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