「荒廃した現代社会」・・・本当にそうだろうか?
確かに、政財界および新聞・TV・雑誌等をみていると、恐ろしい世の中になった、との思いに駆られるだろう。
私は昨年9月から、受身一方の情報源とは決別し、チャンネル桜とインターネットだけに絞って、自分本位の浮世離れした生活をはじめた。そこで見えてきたのは、決して荒廃なんかしていない、浅薄なマスコミに幻惑されているだけだ、ということである。
この1年間、不愉快な思いや生活に不自由を感じたことがない。それどころか、ハローワークでは、頼みもしないのに、失業給付で有利なように勧めてくれる。退職した会社からは、期待もしてなかった冬のボーナスが振り込まれる。雑踏で足を踏まれたら「ごめんなさい」と謝罪があり、エレベータでも「お先にどうぞ」と譲ってくれる。食事や買い物をすれば「ありがとうございました」との感謝の言葉が必ず返ってくる。拉致問題の署名を依頼しても、断られたことは一度もない。独り暮らしだが、世の中の善良な人たちに支えられて、こうして生きていられる幸せを実感している。少なくとも、自分の周辺には、荒廃のかけらすら見当たらない。
果たして、『教育勅語』を理解している人ばかりに巡り合っているからなのだろうか?
自分よりはるかに若い世代が多いので、そんなはずはない。しかし、現実に接する人たちの行動は、おそらく無意識であろうが、『教育勅語』の徳目に従っているから不思議だ。
なぜだろうか?
2006年6月16日(金)の記事
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