いま、教育基本法に「愛国心」「信仰心」等を盛り込むか否か、が話題になっている。議論そのものは大いに結構だ。しかし、自分を子供の頃に戻して考えた場合、「なんだかなあ」という冷めた感情がはしる。子供のほうが遠慮がなく、純心な分、案外本質を突いた判断をする、と思う。
アイコクシンってなあ~に。シンコウシンってなあ~に。
わからないことを言われても、僕たちにはできないよ。
センセイ、教えてください。
子供の僕たちでもできることなの?
それができないと大人になれないの?
それができないと死んでしまうの?
大人になって、それができないと困るの?
大人は誰でもできることなの?
どうすればいいの?
センセイ、手本を見せてください。お願いしまあ~す。
男児は、父親の背中を見て育つ。
女児は、母親を見習って育つ。
鳥類の雛は、親鳥に突き放されて巣立つ。
学校では、教師の姿勢を見て育つ。
新入社員は、上司の姿を見て育つ。
もちろん、家庭、交友、学校、地域、社会等の諸環境が複雑に絡み合い、反面教師となる側面を否定するものではない
子供に一番必要なのは、具体的な「手本」ではないか、と考える。昔の「修身教科書」に相当するものである。重要なのは、大人ができもしないことを子供に要求しても所詮は無理というものだ。身の回りの人(親・教師等)自ら、生きた「手本」を示すことの方が、先決だと思う。
2006年5月25日(木)の記事
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