学生時代に日記をつけていた。昭和40年1月から昭和45年11月までの記録が残っている。以下は、高校2年生1965年2月18日(木)の日記である。(級友名を伏せたほかは原文のまま)
スペースがなかったんでかかなかったが、かの黒人singerのN・K・コールが15日肺ガンで他界した。
1・2時限は薬師寺の高田坊主が話をしたが、若いのになかなかおもしろい話だった。3・4時限はスライドで、5時限は日紡本社から直輸入の“栄光の道”の試写会。その練習ぶりは聞きしにまさるものすごさだった。4:30ごろまで自由見学のコースをきめた。
帰りにKKとあった。Karajan-BerlinerPhil.(von)Brahms Nr.4はゆったりした演奏がよかった。Sから洋楽レコード目録をかえしてもらった。Tはあしたからでてくるそうだ。
第三者が読んでも、さっぱりわからない。第1段落は、前日の追加。第2段落は、学校での出来事。高田好胤師が講師とは凄いが、われながら生意気高校生ぶりに呆れる。1ヶ月後に修学旅行を控えていたので、その予備勉強会日だった。日紡映画は、前年の東京オリンピックで金メダルを獲得した、ニチボー貝塚女子バレーボールチームの記録。第3段落は、帰宅後の出来事とこの日書き漏らした事がごっちゃになっている。ボクシング部員のT君は、喫煙がバレて、停学処分を食らっていた。高校生のやる事は、今も昔も変わらない。ボクシング部は、かなり強かったが、その後、別の事件もあって廃部せられた。
日記があることで、当時の思考や関心事がわかって面白い。シュバイツァー博士の訃報記事など、新聞切り抜きも挿んであり、記録としても貴重だ。思想傾向は、今と少しも違わない。同一人物だから当たり前か。
2006年2月18日(土)の記事
コメント