「憲法改正し自ら国守れ」石原慎太郎氏が残した“国会遺言”
尖閣問題「寄らば切るぞと毅然対応せよ」
「天皇陛下は神道の大祭司。靖国参拝を」
2/5(土) 17:00配信/夕刊フジWEB版
石原慎太郎氏が2013年の国会論戦で「日本人への遺言」を残していたことが、改めて注目されている。東京都知事を辞任して国政復帰した直後で、悲願の憲法改正や、沖縄県・尖閣諸島の実効支配、首都圏上空の横田空域、国のバランスシート、天皇陛下の靖国参拝などについて持論を披露していた。当時の映像を見直すと、石原氏の憂国の思いがあふれていた。
「浦島太郎のように、18年ぶりに国会に戻ってきた『暴走老人』の石原です。これからの質問は、国民の皆さんへの『遺言』のつもりです」
石原氏は13年2月12日、通常国会の衆院予算委員会で質問に立ち、こう述べた。当時、橋下徹氏とともに、旧日本維新の会の共同代表を務めていた。前年12月、政権奪還を果たした安倍晋三首相を前に、次のように語り始めた。
「この国を今日の混乱、退廃に導いた大きな原因は現行憲法だ」「戦争の勝利者が敗戦国を統治するために強引につくった既製の基本法が、数十年にわたって存続している事例を、私は歴史の中で見たことがない」「自分で自分のことを決められなかった国は速やかに滅びる。国の防衛を傭兵に任せたローマ帝国がそうだった」
米国からの「自立」を唱えた石原氏らしい。
「あの前文の醜さ、何ですか」「絶対平和という、一種の共同幻想だ」「非常に厄介な状況が日本の周りでどんどん進展している」「自分自身で守り切る基本的な法制をつくる必要がある」「できるだけ早期に大幅に変えて、日本人のものにしていただきたい」
委員室には緊張感が張り詰め、ヤジ一つない。
石原氏は都知事時代、都による購入計画を進めていたが、直前に民主党の野田佳彦内閣が国有化した尖閣諸島にも言及した。
「(国有化で)国と国の問題にした」「東京都が買い取った方がよかった」「今、日本がやっているのは実効支配とは言えない」「最低限(一番大きな魚釣島の頂上に)灯台をつくっていただきたい」「(中国の挑発には)毅然(きぜん)とした態度を取ればいい。侍と同じように、『寄らば切るぞ』と、パチンと鯉口を切ることですよ」
天皇陛下と、英霊が眠る東京・九段の靖国神社についても語った。
「神道の大祭司たる天皇は、日本の感性がもたらした文化の象徴であり、政治の象徴ではない」「天皇陛下が、戦争で亡くなった人を悼み、お参りをされることは祭司として当然のこと」「天皇陛下にぜひぜひ、靖国参拝していただきたいと奏上をお願いしたい」
石原氏は持ち時間の1時間40分、圧倒的な知識をもとに、日本の抱える問題と、それを克服する戦略について語り続けた。〝最後の授業〟ともいえるものだった。
コメント総数;89
一、日本国憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という「平和を愛する諸国民」とは実質、戦争相手であった連合国のこと。もっと端的に言えば、アメリカのこと。
「アメリカの公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と読めるわけですから、石原慎太郎が醜いと思うのも無理からぬところであります。
二、いろんなご意見はあるとは思いますが、私はこの方は愛国者の一人であったと思っています。他の国では、当たり前の議論や意見がこの国では言えなかったり、できない中で芯を持って発信・発言をされていたと思います。
最近では、聞く力を持っていると言われている方はフラフラですし、ある党では憲法改正の議論をする段階や検討する段階ではないと言われてます。なら、私はその方々に言いたい。国民はあなた方に税金を払うという議論が熟しきれてないので、払いたくないと。
三、例えば、石垣市長が尖閣へ視察に行くと、鬼の首を取ったようように反対だ!止めろ!と、騒ぎ出す人たちがいる。その石垣市に自衛隊を駐屯させようとすると同じ様にやれ反対運動だ!と騒ぎ出す。そしてその人たちは米軍基地前で反対運動に精を出す。それじゃ、米軍に頼らず自国で防衛する方がいいのでは?には、憲法改正反対!と騒ぎ出す。。どうしたいんだ?笑 一番残念なのは、彼らの声が県民の総意だと発信する地元メディアが彼らの仲間だということ。
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著述家としてはよく知らないが、政治家石原慎太郎は愛国者であり国士だったと思う。私利私欲・党利党略などの「利己」で行動するタイプではなかったからだ、失策もないではないが、「滅私奉公」を言葉だけでなく、誠心誠意を以て実践した数少ない戦後政治家の一人である。
【滅私奉公】
私利私欲を捨てて、国や社会など公のために尽くすこと。
どちらかと言えば、私(わたくし)を邪(よこしま)な事柄と位置付け、公(おほやけ)を正とするのが我国の伝統的精神であり、これが世界に冠たる利他的国民性を形成している。欧米型個人主義(≒利己主義)と対比して日本型集団主義(≒利他主義)と呼ばれることもある。然りながら、「主義(イズム)」にまで発展した信仰上の背景が真逆である点に留意したい。
欧米(基督教)では、神(単数)が最初の人間としてアダム(個人・男)を創ったとされ、その後アダムの肋骨からイヴ(女)が生まれたことになっている。科学的見地から、男に子を産む機能などないので作り話(早い話が「ウソ」)に過ぎない。我国の場合(記紀)、日本誕生(豊葦原中つ国)は神々(複数)の御業となっている。天照大神は最初の神ではないが、その子孫が神武天皇であり、神武天皇を皇祖とする男(父)系男子継承が万世一系の「皇統」とされて今上陛下まで126代続いているわけだ。
何が言いたいのか? 我国は神代の昔(天地開闢以来)から、神々も人間もペア乃至複数在って、端から「集団」を形成していたということ。欧米流単なる「個人(自分)あっての集団」ではなく、「集団あっての個人(自分)」という考え方に収斂された所以である。
【利己主義】-egoism-
社会や他人のことを考えず、自分の利益や快楽だけを追求する考え方。
【利他主義】-altruism-
利己主義に対して、他人の幸福や利益を図ることを第一義とする考え方。
ギリシャ語に「アガペー(agapē)=神的愛・至高愛」というのがある。要するに、〝人間に対する神の自発的で見返りを求めない愛″を意味する。仏教で言えば「慈悲」に相当するわけだが、こういう神仏しか持ち得ない至高の愛情を、一般庶民レベルまで普通に具備していること自体が、外国人にとっては信じ難いことなのだ。
我らは互助互恵・共存共栄型社会で育っているから、「アガペー」とか「慈悲」だとか意識しなくとも、他人や社会の使役を厭わないし、役立ったと実感できたときほど幸せなことはない。これぞ正しく『葉隠聞書』で謂うところの「仁=他人が欲することしてやるまでだ」に当たる。因みに、「知=他人の話をよく聞くこと」「勇=歯を食いしばって我慢すること」であった。
そこでまたまた『小学校卒業文集』の担任教師の言葉を思い出す。
僕のように気むつかしやの人間を今日まで先生、先生といって、共に勉強してくれたことを大変うれしく思う。自分のことは自分でやることだ。親にも、先生にも頼ってはならぬ。最後まで自分ただ一人と思って頑張るのだ。苦しみや、悲しみに負ける人間は何事もなしとげることが出来ない。歯をくいしばって頑張ろう。
『葉隠』をパクったような一文だが、「自分のことは自分でやる」は、子供の頃から肝に銘じてきた句。子供時分には気付かなかったが、「共に勉強してくれた」の部分が素晴らしい。先生と児童が上下関係でなく、双方向であることが意識されているのだ。時と場合によって、先生たりとも児童に学ぶこともある。流石に先生(先に生まれた)だけのことはある。とかく尊大になりがちな職業だが、謙虚なところが良いではないか。戦前戦中は満洲国で訓導だった先生で、昭和34年当時一般に「中共」と呼んでいた中国を「支那」と称して憚らなかった。中国の呼称では石原氏と共通する。所謂「支那人」と我ら日本人の習性の違いなど、面白可笑しく語ってくれたが、ちっとも褒めてくれないので、余り好きにはなれなかった。
話が逸れた。結論として言いたかったのは、戦後日本人が忌避してきた「戦う(闘う)」姿勢を維持し続けた点を最大限に評価したい。
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