下記は、『戦後教育の誤謬』(2月24日付)で採り上げたニュースの再掲である。
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本田圭佑が日本の教育体制に提言
「根本的に間違っている部分がある」
2/24(水) 0:34配信/東京スポーツWEB版
サッカー元日本代表MF本田圭佑(34)が日本の教育体制に疑問を投げかけた。
23日に自身がパーソナリティーを務めるニッポン放送「本田圭佑『NowVoice』」(火曜午後7時)に出演。現在は投資家としての一面を持つが、当初はお金のことについて「何も知らなかった」という。「ビジネスに携わるきっかけを得てから、右も左も分からないまま会社を作って、サッカースクール立ち上げて、投資もし始めて、というのもみんなゼロからで何も分からなかった」と振り返る。
そのため「もしかしたら不必要だったかもしれない失敗もたくさんした」とコメント。続けて「それってもっと教育で事前にそういうノウハウがあれば、避けられたと思う。次世代のスポーツ選手にはそうなってほしいと思う」と訴えた。
「日本の教育が根本的に間違っている部分があるなと思っていて、お金のことを小さい時から、義務教育の時から教えるべきだと思う」
果たして本田の提言は全国の“教育者たち”に届くだろうか。
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前回は『教育論』のネタとして書いたが、今回は本田氏が提言(?)する『金融論(おカネの役割)』を展開してみたい。
〝職業に貴賤はない″と言われるが、学生時代の自分は、金融業だけには就きたくない、と思っていた。他人様のカネを預かって別の他人様に貸し付けるだけの生産性に乏しい商いなど最低と考えたからだ。時代劇の因業高利貸しのイメージが在ったのかもしれない。ところが、何の因果か希望した企業の受験に悉く失敗し、就職浪人を余儀なくされてしまった。卒業後、全国を周遊して気を紛らしていたが、定職に就けないのは何とも世間体が悪い。父の縁故話が無いでもないが、職業まで親の世話になりたくなかった。
半年後の或る日、朝日新聞広告の「特別幹部候補生募集」に目が留まった。皮肉にも嫌っていた金融業(生保)の採用広告だった。嫌いだから金融業への関心がない分、知識もまるでなかった。人材育成(従業員教育)に熱心というぐらいの情報は得ていたが、面接試験で「外交(セールス)も遣ってもらう」といわれるまで、戸別訪問があるとは夢にも思わなかったほどだ。
入社して分かったことだが、今から40年ほど前に全廃されたものの、当時(1970年)は内勤員(新卒)と外勤員(中途採用)とで採用が異なっていて、自分が応募したのは後者だった。前者は今日の総合職、後者が一般職に相当すると考えれば分かり易い。入社時点で既に会社の期待度が違う以上、当然、待遇(昇給昇進諸制度)面にも格差が生じる。
そんなこともあって、不満たらたら厭々出社していた。考え方が劇的に変わったのは、入社後二年目のこと。勧めていた某会社員の奥さんに「なぜ強引に勧めなかったのか」と逆恨みされたのがきっかけ。死因は不明ながら、予期せずして夫(収入源)を亡くし、今後の生活を苦にしたからだ。加入していれば、少なくとも当座は凌げたろうに。要するに、おのれの職業が、社会に役立っていることを実感したのだ。仕事に誇りを得たのは、言うまでもあるまい。
さて、本田氏の提言に戻ると、起業(就職)を〝金儲け″の道具と考えているところがそもそもの間違い。金融制度に全く無知だった点は自分も同じだが、それは「教育」のせいではない。自分の場合、単に〝金儲け″が嫌いで関心が無かったからに過ぎない。近頃では、経済学的評論花盛りだが、その「経済」とは、【経世済民;世を治めて民を救う】の略語である。即ち、如何に国民生活の助けと成り得るかというとなのだ。
本田氏に必要なのは「教育」ではなく、次の箴言であろう。
- 緒 言 -
『人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし急ぐべからず』とは東照宮(徳川家康)の箴言なり。富を成すの要もまた同じ。乏しきは世の常なり、露つらしと思うべからず、ただ真心もて撓まず息(やす)まず勤むれば、なぜか終(つい)には志を遂げざるべき。
一攫千金は夢にも望むべからず、常道にあらざればなり。知らずや、投機に得たる万金は消え易きこと泡沫の如きことを。額の汗に得たること、実(げ)にも貴き財(たから)なれ。微塵の財も積めば山ともなりぬべし、積みて善く用いれば益々集まる。
富めるとて、驕れば忽ち滅ぶべし、守るべきは分度なり。上(かみ)を敬い、下(しも)を恤(あわれ)み、神仏に事(つか)えておろそかならず、法令に遵い生業(なりわい)を励むは、子孫長久の基也。
夫(そ)れ財は泉なり、周流して物を潤す。常に財用(支出)を節すれば歳計必ず余りあり。以て親故を賑わし、施(やが)て国用を資(たす)くるに足る。斯くの如くして貨泉の功始めて全しと言うべし。
大正五年四月
七十八齢勤倹堂実行道人
~安田善次郎『意志の力』(平成十二年安田生命刊;非売品)~より
誰の俚諺か知らないが、『カネは天下の周りもの』とはよく言ったものだ。戦前の四大財閥(三井・三菱・住友・安田)のうち、金融業を核としたコンツェルンは、「安田」だけである。
《ご参考》
【ch桜・別館】コロナ禍で身に染みた経済政策の誤りとは[桜R3/3/22]
三橋貴明氏は、我が高校の後輩に当たる。ただそれだけで、もちろん面識などまったくない。
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