何でも、昨年は高峰秀子の没後10周年だとかで、CS219(衛星劇場)にて『兵六夢物語』(東宝/昭和18年)を放送していた。
・スタッフ
監督/青柳信雄
制作主任/市川崑
原作/獅子文六
音楽/栗原重一
特殊技術/円谷英二
・キャスト
大石兵六/榎本健一
怪童女/高峰秀子
お糸/霧立のぼる
吉野市助/黒川弥太郎
心岳寺和尚/中村是好
曲淵杢治郎/如月寛多
落語『入れ髪』で知られる「兵六(ひやうろく)または表六(へうろく)」とは、〝間抜け″〝愚か者″といった意味である。大石内蔵助の子孫を誇りとする兵六は、気位ばかり高いものの文字通り間が抜けてて、失敗ばかり繰り返していた。案じた母親お糸は、〝可愛い子には旅をさせよ″というわけで、武者修業に旅立たせる。そこで人間に成りすました狸だか狐だかの集団に出くわし、さんざん愚弄された挙句、髷を切られて丸坊主にされてしまう他愛ない「夢」物語。
戦時中の映画とて、「撃ちてし止まむ」のスローガンで始まる。時節柄、こんな娯楽作品にも何らかの戦意昂揚の意図があったに違いない。そう思ってみると、最後のオチにあった。丸坊主になって帰ってきた薩摩藩士兵六の和尚・母親が極意を伝授するように語った「人間は〝頭″じゃない。〝心″だよ。」の言葉。
正月早々何でこんな話題を持ち出すかと言うと。とかく現代人は〝頭(論理・理窟)″ばかりが専行し、〝心(感情)″の動きを蔑ろにしていまいか。この映画でも出て来るように、昔は「心眼」という語がよく用ゐられたが、現代では殆ど死語同然だ。「心眼」とは、人間の五感では知覚できない超常現象を感じ取る能力を言う。例えば、《殺気》とか《人の気配》とか《場の空気》とか。
つまり、あらゆる【詐術(中国語で「ペテン」)】は、五感に生じる錯覚を悪用するものに他ならない。手品は芸能であって詐術とは言い難いが、類例ではあろう。ネタバレすれば忽ち「なぁ~んだ」になる。【政治プロパガンダ】とて同じこと。いま流行り(?)の武漢ウイルスにつき、全世界に蔓延してるにも拘わらず、源発国中国に於ける感染者・死者数が一向に増えず、根治したかに見える。それは「錯覚」であって、事実は単純に中共が隠蔽しているからそう見えるだけなのだが、何処も自国の惨状に耳目を奪われて他国に目を向け余裕などない。真にヤクザ中共の思う壺である。
昨年9月、チェコ訪台団『自由+真実+正義』という言を借りて、護るべき価値観について書いた。今時の国際情勢を、「民主主義対全体主義」のイデオロギー対立と観るのが一般的だが、果たしてそうだろうか。自分はもっと日本的な観点から読み解きたい。
昨年末、チャンネル桜の討論番組『日本の希望』の結論部分(2:14:30~)にヒントがあるような気がする。
我国の歴史に照らして結論付けるならば、シラス(共存共栄・互助互恵・相互不干渉)型の専守防衛的国際秩序を構築するのか、ウシハク(独占・独裁・弱肉強食)型の侵略破壊的秩序に与するかの鬩ぎ合いではなかろうか。換言すれば、三浦小太郎氏の言う「伝統文化の護持者対破壊者」の戦争である。
【 追 伸 】
中学生時分、理科の授業だったか、「何事にも疑問を持て」と言われたことがある。当時はどういう意味なのか、皆目見当がつかなかった。いまになって解ったような気がする。【詐術】は悪意ある作為なので、常識に照らすとどこか〝不自然″に映る。それが「疑問」の始まりである。
「南京大虐殺」にせよ、所謂「従軍慰安婦」「徴用工」などにせよ、もともと作り話(虚構・捏造)だから、証拠など捜そうにも見つかるはずもない。でっち上げた側(中国・韓国)に証拠を示せと迫ればいい。出せっこないから、偽の資料・写真等をでっち上げてウソの上塗りするしかない。それを検証すれば、一発でウソが暴けるはず。
「南京大虐殺」は中国国民党軍の殺ったことを日本軍の仕業に摩り替えた作り話である。第一、当時の南京に北方匪賊の中国共産党軍など居ない。当事者でもない中国共産党が今頃になって持ち出すのだから、〝講釈師、見て来たようなウソを謂う″といった類の噴飯談に過ぎない。
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