習近平も青ざめる…
中国の尖閣侵入に「日本のマジな怒り」を見せる方法
7/10(金) 6:31配信/現代ビジネス(講談社)
■ 唐突すぎたイージス・アショア配備停止
地上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の配備停止を受けて、敵基地攻撃能力の保有をめぐる議論が起きている。それより「目の前の異常事態」をどうするのか。中国は沖縄県・尖閣諸島周辺に連日、武装公船を侵入させているではないか。
イージス・アショアの配備停止は唐突だった。河野太郎防衛相が6月15日、記者会見し「配備手続きを停止する」と発表した。山口県の配備候補地、むつみ演習場について「発射後に切り離すブースターを演習場以外に落とすことが困難」という理由だった。
政府は25日に国家安全保障会議(NSC)を開き、もう1つの候補地である秋田県の新屋演習場を含め、東北の20カ所について「代替地を見つけるのも困難」として、正式に配備断念を表明した。だが、専門家の間でも、この説明を疑問視する見方がある。
そもそも「切り離されたブースターが市街地に落ちる」のは、最初から分かっていたはずだ。すでに配備済みの地対空誘導弾、ナイキJのブースターは「住宅街に落ちる可能性があるにもかかわらず、長年、配備されている」という指摘もある。
イージス・アショアの導入を決めたのは、2年半前の2017年12月だった。すでに1800億円近い予算も執行している。この間、防衛省はいったい何を検討していたのか。河野氏は国会で「改修には少なくとも2000億円、10年かかる」と説明したが「いまさら、何を」という疑念はぬぐえない。
レーダーと発射場の分離案や場所の再検討を含めて、専門家の間でも、いまだに配備の可能性を探る議論が消えないのは、配備断念の理由に説得力がないからだ。こんな調子では、防衛省と防衛政策全体に不信感を抱かれても、仕方がない。
■ 行きあたりばったりの防衛政策
それだけではない。
イージス・アショアの配備が突然、消えたと思ったら、今度は「敵基地攻撃能力を検討しよう」という話になった。こちらも、どう論理的に整合しているのか、さっぱり分からない。ボクシングで言えば「ガードを固める方法」を検討してきたはずのに、突然「パンチ力を強めろ」と言い出したようなものだ。
念のために言っておけば、私は「敵基地攻撃能力の保有」に反対ではない。それどころか、このコラムを含めて、機会があるたび「当然、保有すべきだ」と訴えてきた。
そんな私が見ても、今回の展開にはあきれてしまう。話の辻褄が合わず、まったく腹に落ちないのだ。おそらく、多くの国民も「何をバカな話をしているのか」と思っているだろう。足が地についていず、まるで話が行きあたりばったりなのだ。
どうして、こんな展開になったのか。根本的な理由を探れば、政治家も官僚も「目の前の脅威」をしっかり認識していないからだ、と私は思う。肝心要の「敵」をよく認識せず、時間軸の中で動きを見ていないから、きちんとした対応ができない。議論も上滑りになる。
いま、目の前の脅威が何か、は言うまでもない。尖閣諸島に押し寄せている中国の武装公船である。
■ 政府職員を尖閣諸島へ派遣せよ
中国は4月14日以来、連日、尖閣諸島の周辺海域に武装公船を侵入させ、7月7日で85日連続になった。2012年9月に尖閣諸島を国有化して以来、最長の連続記録を更新中だ。7月4~5日には、公船2隻が計39時間23分にわたって領海に侵入し、最長侵入時間も記録した。
トム・クランシーの小説ではないが、これが、日本にとって「いま、そこにある危機」でなくてなんなのか。海上保安庁は連日連夜、大変な苦労をされていると思うが、事態を「海保任せ」にしていい段階はとっくに過ぎている。いま、何をすべきなのか。
私は「夕刊フジ」や「北國新聞」の連載コラムで書いたが、ここで再度、訴えよう。日本政府は政府職員を尖閣諸島に上陸させ、国旗を掲げて「島が日本の領土」であることを、中国と世界に示すべきだ。威嚇を続けているのは中国である。日本が政府職員の上陸をためらう理由はない。
尖閣諸島への上陸問題については、鈴木宗男衆院議員(当時、現参院議員)が2007年3月、政府に質問主意書を提出している。(1)領有権をめぐる問題が日本と中国の間に存在するか。(2)政府職員の上陸は禁止されているか。されているなら、法令上の根拠は何か。(3)過去に政府職員が上陸した例はあるか。あれば、直近の2事例を示せ、という質問だった。
これに対して、安倍晋三政権は次のような答弁書をまとめている。
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(1)尖閣諸島が我が国固有の領土であることは、歴史的にも国際法上も疑いのないところであり、現に我が国はこれを有効に支配している。したがって、中国との間で解決すべき領有権の問題はそもそも存在していないと認識している。
(2)尖閣諸島への日本政府職員の上陸を禁止する法令はないが、国の機関を除き上陸等を認めないという魚釣島等の所有者の意向を踏まえ、また、尖閣諸島の平穏かつ安定的な維持及び管理のためという政府の魚釣島等の賃借の目的に照らして、政府としては、原則として何人も尖閣諸島への上陸を認めないとの方針をとっているところである。
(3)過去に尖閣諸島に日本政府職員が上陸したことはあり、その直近の2事例は、平成18年(2006年)10月27日及び11月8日の上陸である。
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尖閣諸島は当時、民間人が所有し、政府は賃借人の立場だった。その後、鈴木氏は政府の賃借を前提に再度、質問主意書を提出し、島尻安伊子参院議員(当時)らも同じく質問主意書を出しているが、現在は政府所有になっているので、経過は省く。
当時の政府の考え方を一言で言えば、賃借の目的は「(尖閣諸島の)平穏かつ安定的な維持および管理」であり、そのために、たとえ石垣市による固定資産税課税のための調査であっても「上陸せずに課税しても、違法ではない」という立場だった。
現在は政府所有である。そうであれば、政府が賃借当時よりも「平穏かつ安定的な維持」に一層、重い責任を持っているのは、当然だろう。当時に比べて、尖閣諸島周辺が「平穏かつ安定」しているとも言えない。領有権を脅かされているのは、明らかである。
むしろ、現地の対応を海保任せにしたままでは、政府が「維持管理の責任を十分、果たしていない」とさえ言える。
■ 中国の脅威から目を背けている
政府が政府職員の派遣をためらうのは「中国を挑発したくない」という理由からだろう。派遣すれば、中国が一段と強硬になる。緊張がスパイラル化して平穏状態を維持するのが一層、難しくなるという判断だ。だが、そんな姿勢こそが中国を助長させている。
意地悪く言えば、政治家たちが敵基地攻撃能力の議論を始めたのは、暗黙のうちに共有された「尖閣の緊張から目を背けていたい」という思惑の産物かもしれない。
敵基地攻撃能力の保有はいずれにせよ、遠い将来の話だ。巡航ミサイルや戦略爆撃機、まして空母の保有など、公明党を含めた与党内で合意形成を図るのは難しく、仮に合意できたとしても、実際に能力が備わるまでには、10年単位の時間と巨額の費用がかかる。
議論をしていれば、政治家たちは「安保・防衛に努力している体(てい)」を装える。一方、いま尖閣諸島に政府職員を派遣すれば、中国はもちろん、一部の野党も反発して、大問題になるに違いない。目先の平穏を続けるために、あえて尖閣に目をつぶる。そんな計算はないのか。
いま、現実に目の前の領土と領海が脅かされているのに、現場に政府職員すら派遣すらできないような国が、敵基地を攻撃する? 私には、ほとんど笑い話のように聞こえる。政府職員派遣は政府の決断1つで実行できる。カネがかからないのは、言うまでもない。
■ 中国のイジメを許すべきではない
実際に政府職員を派遣しなくても、日本が「政府職員派遣」というカードをチラつかせるだけで、事態が動く可能性もある。
たとえば、政府がどこかのマスコミに「政府職員の派遣を検討」という話をリークする。抜かれた他社は官房長官会見で、必ず「派遣は本当か」と質問する。そこで、官房長官は「政府はあらゆる対応策を常に検討している」と答えればいい。
中国が挑発行動を続ければ、日本は次に「米国との協議」を表明する。マイク・ポンペオ国務長官は7月8日の記者会見で、中国による尖閣諸島周辺での領海侵犯に言及し「中国は領土紛争をあおっている。世界はこのイジメを許すべきではない」と語った。米国のほうが先に動き出しているのだ。
欧米各国は新型コロナウイルスの感染拡大で、中国批判を強めている。日本が動くのに、絶好のタイミングだ。中国外務省は「違法に侵入した日本の漁船を追跡し、直ちに退去を求めた。この海域での法執行は中国固有の権利だ」などと述べ、居直っている。
こんな発言を聞いて、当事者である日本が手をこまねいていてはならない。
寄稿;長谷川 幸洋(ジャーナリスト)
長文を敢えて全文引用するのは、〝切り貼り″では「サヨクの政権批判とは違う」寄稿者の真意が伝わらないと思ったからだ。だが、新聞記者出身だけに、職業的通弊が抜けないのか、事態を即物的に皮相でしか捉えてないのが、そもそもの間違い。御当人は大真面目だろうから悪く言いたかないけれど、一見もっともらしいが、ジャーナリスト(時事情報提供者)としては、コトの裏側(米軍の意向に沿った日本の防衛戦略見直し)を見抜けず独善的で底の浅い記事と言うほかない。
この問題のキモは、ポンぺオ米国務長官の〝いじめ″発言にある。アングロサクソン人らしい巧妙なアイロニー(皮肉)である。よくよく考えてみるがいい。〝いじめ″とは、強者が弱者に向ける恫喝である。逆に弱者が強者に立ち向かうことを「勇気」と呼ぶ。香港・チベット・ウィグル人の中共に対する抵抗こそ、真の「勇者」と呼ぶに相応しい。即ち、ポンぺオ氏は、中国の横暴を非難する一方で、暗に我国を「弱者(弱虫)」に仕立てて皮肉ったのだ。これほどの侮辱発言に噛みつく気概もなく、完全スルーして自説に都合の良い〝いじめ″の単語だけパクるとは・・・。結局、自国の軍事防衛策を批判する長谷川氏自身も、強者(米国)の「威」を借るだけの同根者(「弱虫」のお仲間)と言わざるを得ない。
【弱きを救け強きを挫く】との我国古来の「正義」は、何処へ行ってしまったのか。自分は「三種の神器」に擬えて、
草薙剣=勇気
八咫鏡=至誠
八尺瓊勾玉=仁愛
が、伝統的な日本人の心(=大和ごゝろ;大和魂)と思っている。先人たちが世界中で尊敬されたのは、この「三つの宝物」を心底にしっかりと保持していたからに他ならない。先の大戦までの軍人や武士(サムライ)が尊敬され、男児の憧れだったのも同じ理由で、一般庶民に代わって【弱きを救け強きを挫く】を実践する「正義の味方」だったからだ。〝暴力装置″との揶揄は、中国共産党軍(人民解放軍・武装公安)を指すサヨク用語に過ぎない。日本陸海軍や戦後の自衛隊は、飽くまで「正義の味方」以外の何物でもない。
「心」に映る事象を頭で考えても始まらない。胸に手を当てて感じ取るしかない。自戒を込めて言うのだが、「勇気」を失くせば全てを失うことを、肝に銘じなければならない。「勇気」の秘訣は、「自我を忘れる=無我夢中になる」ことだと思う。〝火事場の馬鹿力″とは、こうした有事(戦時)に際しての思いもよらぬ能力発揮を言う。
ご参考-*明治天皇の偉業*
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