朝鮮半島統一には、南北どちらが主導するかだけでなく、他にも幾つかのシナリオが考えられる。
(↓)法政大学真壁昭夫教授の論説
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*正直、南北統一は無理だと思う。それと統一したら途轍もない無法者国家が誕生し、大量の難民に溢れ、日本にも流れてくるだろう。全部を防ぐのも無理がありそうだし、様々な事件も発生し日本も混沌とする。さらに、日本は多大な防衛費の負担も強いられる事となる。まあ、これは統一したとしてだが実際は米国からの制裁や、韓国にある企業の撤退、その後の金融崩壊により、それどころではないだろう。
*いつの時代も絶対にやってはならないことや取り返しのつかないことを喜んで選択するのが韓流である。間違えても信用してはならない。
*文にとっては絶対正義の統一さえできれば後のことはどうでもいい。経済格差が問題なら韓国人の所得を引き下げればいいだけ。左派政権があと10年も続けば自然とそうなる。もっとも現実的には韓国が右派と左派に再分裂する可能性の方が高いと思うが。
真壁教授の論考は、東西ドイツ統一が比較モデルだが、言っちゃ悪いが的外れではないか。なぜなら、文在寅政権が目指すのは、北朝鮮を併呑(韓国主導の統一)することでなく、欧州型の南北経済統合である。その先は不透明ながら、おそらく北朝鮮主導の国家統一だろう。従い、共産主義国家(東ドイツ)を吸収統合した西ドイツとは事情がまるで異なる。比較するなら、ヴェトナム統一(1976年)のほうがモア・ベター(映画評論家小森和子の造語;正しくはマッチ・ベター)だという気がする。
戦前(第二次世界大戦前)のヴェトナムは、フランスの植民地だった。戦中のフランス本国は、枢軸国ドイツ軍の侵攻を受け、北部領土を占領された。この隙に乗じて枢軸国の日本軍が、北部仏印(ヴェトナム)に進駐(1940年)。翌1941年、シャム(現タイ)軍とフランス(=仏印)軍が交戦状態となる。これを日本政府が仲裁。加えて南部仏印まで進駐したため、米英蘭とも対立を深めた。いわゆる”大東亜戦争=太平洋戦争”の勃発である。註)旧仏印には、現ラオス、カンボジアも含む。
なお、第二次大戦は枢軸国と連合国との交戦だが、幾国かは多重権力が生じて複雑な内戦構図も見え隠れする。
★ 枢軸国
・大日本帝国
・シャム(現タイ王国)
・満州国
・汪兆銘政権支那
・ドイツ国(ナチス)
・イタリア王国→イタリア社会共和国
・自由インド仮政府(チャンドラ・ボース)
・フランス国(ヴィシー政権)
☆ 連合国
・イギリス帝国
・オーストラリア
・ニュージーランド
・英国領インド帝国(含;現パキスタン、バングラディッシュ、スリランカ)
・英国領マラヤ(現マレーシア、シンガポール)
・アメリカ合衆国
・米国領フィリピン
・オランダ
・オランダ領東インド(現インドネシア)
・国民党支那
・共産党支那
・ソビエト連邦
・メキシコ合衆国
・自由フランス→フランス共和国臨時政府
・ヴェトナム独立同盟(ホー・チ・ミン)
1945年3月、日本軍の援助を受けたパオ・ダイ帝がヴェトナム帝国独立を宣言。しかし、8月の日本軍降伏により戦闘停止を余儀なくされた。直ちにホーチミン率いるヴェトナム独立同盟がハノイを占拠、9月2日、ヴェトナム民主共和国(北ヴェトナム)樹立を宣言。翌年、ハイフォンでフランス軍と衝突、インドシナ戦争が始まる。1949年、旧宗主国フランスは、サイゴンにパオダイを復位させ、ヴェトナム国(南ヴェトナム)として独立を承認。
1954年、フランス軍がディエンビエンフーの戦闘で敗北し、ヴェトナム撤退。社会主義圏の北ヴェトナムと自由主義圏の南ヴェトナムに国家が分断される。同年10月、米国の後ろ盾でゴ・ディン・ジエムが大統領に就任、ヴェトナム共和国に改称。1960年には南ヴェトナム解放民族戦線(通称「ベトコン」)が結成されている。1962年、米国がサイゴンに援軍司令部を設置して軍事介入。ヴェトナム戦争が始まる。結果は米国軍側の大敗北に終わり(1969年)、北ヴェトナム主導により国家統一が成された。
こうしてみると、南ヴェトナムは日本→フランス→米国の傀儡政権。韓国も出自が米国主導国家の点で似ている。戦中の旧宗主国に対する独立闘争の拠点は、ともに北側にあったのが歴史的事実。ゆゑにヴェトナムも朝鮮半島も、正統性は”北”にあるという理屈が成り立つ。
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