マスコミ業界(新聞など)の欺瞞に満ちた報道姿勢を鋭く抉った良い記事なので全文引用する。
<日韓関係悪化とメディア> 嘘だけはやめよう
アジアプレス・ネットワーク/執筆者;加藤直樹(社民党系?)
◆「輸出規制は対抗措置」と報じた読売新聞
日本政府が韓国への輸出規制強化を始めることを最初に報じたのは、7月1日付の読売新聞朝刊だった。「韓国へ半導体材料禁輸/徴用工問題に『対抗措置』/政府方針」という見出しの下、本文は次のように始まる。「日本政府は韓国に対し、半導体製造などに必要な化学製品の輸出管理を強化する。実質的には禁輸措置となり、半導体を主要産業とする韓国経済に大きな打撃となるとみられる」。重要なのはその次の一文だ。「韓国人元徴用工訴訟を巡る問題で解決に向けた対応を見せない韓国への事実上の対抗措置となる」。読売は同日の夕刊でも「日本政府の徴用工訴訟を巡る事実上の対抗措置を受けて…」と地の文で書いている。
翌日の産経新聞朝刊は、「対韓輸出規制を強化/徴用工対抗/政府が正式発表」という見出しを掲げ、「いわゆる徴用工問題で日本の再三の要請に対し韓国が誠意ある対応を示さないことから、事実上の対抗措置を決めた」と伝えている。「所轄の経済産業省は徴用工問題に触れ『政府全体でしっかりした回答を求めてきたが、20カ国・地域(G20)首脳会議(サミット)までに何ら回答がなかったことも一つの要因だ』との認識を示した」ともある。
政府はどうか。7月3日付の読売新聞によれば、菅義偉官房長官が前日の記者会見で、規制の理由として「韓国との信頼関係の下に、輸出管理に取り組むことが困難になっている」と説明し、その理由に「元徴用工訴訟で韓国側が解決策を示さなかったことを挙げた」ことを伝えている。
安倍晋三首相は7月3日の党首討論会で、「徴用工問題で事実上の対抗措置を取った。歴史問題を通商問題にからめるのはよくないのではないか。どう決着させるのか」という記者の質問に対して、「徴用工問題とは歴史問題ではなくて、国際法上の国と国との約束を守るのか、ということであります」「相手の国が約束を守らないなかにおいては、今までの優遇措置はとれない」と答えている。つまり、「事実上の対抗措置」であることを否定しなかったのだ。
その後、事態は韓国の「ホワイト国」除外まで進んだわけだが、それにつれて報道の方はおかしな様子になってきた。当初とは打って変わって、徴用工判決と輸出規制がそもそも無関係であるかのように書くようになったのだ。
◆いつのまにか 「韓国の主張」にされた「対抗措置」
たとえば読売新聞は、韓国代表がWTOの理事会で「日本の措置を『徴用工問題と関連した対立に起因したもの』と主張し」(7月25日付)と記述し、産経新聞は「韓国は日本の措置は、日本企業が徴用工訴訟で賠償金を命じられたことへの『報復』だと主張して」(同日付)いると書いている。輸出規制が徴用工判決への対抗措置であるというのは韓国側の「主張」にすぎないというのだ。他紙も全く同じである。たとえば朝日は「(文在寅大統領が)輸出規制強化は韓国人元徴用工訴訟への報復だと改めて位置づけ」(8月6日付)と書いている。
政府はどうか。7月2日の記者会見では規制の理由として徴用工問題を挙げた菅官房長官だが、8月2日の会見では「対抗措置ではない」と発言した(産経8月3日付)。
実は当初から、所轄官庁のトップである世耕弘成経済産業相と西村康稔官房副長官は「対抗措置ではない」と明確に否定してきた。その代わりに「安全保障を目的とした輸出管理制度の適切な運営」(産経7月2日付)だと主張していた。7月12日に行われた日韓の事務レベル級会合では、日本側は「(韓国側に)輸出管理上の不適切な事案があった」と主張している(産経7月13日付)。ただし、日本側はこの会合で、「第三国への横流しを意味するものではない」と明言しており(同上)、 自民党幹部などが一時期、盛んに吹聴していた「北朝鮮への横流し」は否定された。 実際、そうした証拠は全くないようだ。そうなると、「安全保障」上、何が問題なのか、「不適切な事案」とは何なのか、全く判然としない。
だがこれ以上、言葉をひねくり回す必要はないだろう。事実は誰もが知っているとおりだ。 日本政府は徴用工判決や「慰安婦」合意崩壊への「対抗措置」=報復として輸出規制に踏み切ったのである。だから、輸出規制を徴用工問題への「対抗措置」だと断言した読売や産経の7月初めの報道は誤報ではないのだ。
政府はしかし、韓国によるWTOへの提訴や国際的な批判への予防策として“公式には”それを認めないという選択をしているわけだ。テレビのニュースでたまに、中国の報道官が「適切な対応を取った」などと木で鼻をくくったような説明をするのを見るが、あれと同じだ。外交においては、時にそうした不正直な態度が必要だという考え方もあるかもしれない。だが私がここで問題にしたいのは、とりあえず日本政府の姿勢についてではない。メディアの姿勢についてである。
◆「現実の二重化」が社会を侵食する
政府が自分たちも信じていない「公式見解」を示すのはともかく、なぜメディアがそれをそのまま客観的な事実であるかのように地の文で書くのか。なぜ自らの当初の報道を否定して、輸出規制が徴用工判決への対抗措置だというのは韓国側の主観的な主張にすぎないと説明し直すのか。とんでもない退廃ではないか。
メディアは政府の広報ではない。自ら調べた事実をそのように報じることで、社会に議論の前提を提供するのがその役割である。だが、メディアが誰も信じていない嘘をそのまま書くようになれば、議論は成立しなくなる。今回のテーマで言えば、本来は、徴用工判決への報復として輸出規制を行うのは是か非かという議論が広く行われるのが健全なあり方だろう。そうした議論の中で初めて、この選択のメリットとデメリット、正当性と不当性が吟味されるからだ。ところがメディアが事実の代わりに政府の公式見解を客観的事実のように伝えることで、この政策の是非をめぐる議論そのものが成立しなくなっている。いま起きていることが間違いなく日本と隣国の人々の未来を大きく変える重大事であることを思えば、政府の選択の是非をめぐる議論が存在しないのは、深刻な事態だ。
問題は今回の件だけではないし、メディアだけの問題ではない。誰もが「公式見解」を嘘と知りつつ一方でそれを信じているかのように振る舞う言論状況、いわば「現実の二重化」がこのまま社会を侵食していけば、私たちは自己欺瞞のうちに沈んでいくことになる。敗戦へと転がり落ちていった戦時中の日本がそうだった。まともな判断力と教養をもった大人たちが、「本当に」大本営発表を信じていただろうか。
日本とはシステムは違うが、かつてのソ連もまた、人々が二重の現実を生きる社会だった。公式見解や公式統計数字と、本当の意見や本当の数字が二重に存在し、後者は私的な空間でぼそぼそと話されていたのである。こうした状況に対して、作家ソルジェニーツィンは、「嘘によらず生きよ」という文章の中で、「せめて心にも思っていないことを語ることだけは拒否しようではないか」と訴えた。私たちもまた、公式見解ではなく現実を前提に議論すべきだ。せめて嘘だけはやめよう。
加藤氏の主義主張には受容し難い点が多々あるが、この記事だけは本質を衝いているように思う。
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