タイ音楽の“懐メロ”まで持出しているものの、本を正せば古典音楽愛好家(クラシック・ファン)に過ぎない。流行り廃りのある大衆音楽(流行歌)と違い、普遍性があるから古典音楽なのだが、多少の流行と無縁ではない。クラシックにも“懐メロ”が存在する所以である。レコード、ミュージックテープ、CDなど音楽メディアを喩えるなら「音の缶詰」になっている。映画やTVなら「映像の缶詰」ということ。つまり、録音(撮影・録画)された当時の空気(雰囲気)までもが封印されているのである。
“懐メロ”とは「懐かしのメロディ」の略語で、初めて接する曲では成立しない。聴き憶えのあるメロディが、それを聴いた当時の記憶を呼び覚ますから「懐かしい」。したがって、同じ曲でも別録音や別奏者だったら、「懐かしさ」も大幅に減じてしまう。この際、初出盤かどうかが問題ではなく、記憶と同一の録音かどうかが重要である。例えば『人生劇場』。オリジナルは楠木繁夫盤(テイチク/昭和13年)だが、自分が慣れ親しんだのは村田英雄盤(コロムビア/昭和34年)である。今では両方保っているけど、楠木盤がオリジナルにも拘わらず、村田盤より後で知ったため、懐かしさなど些かも伴わない。
クラシックとて同じこと。ファンになったきっかけは、中一の時(昭和35年)、音楽鑑賞の授業でシューベルトの「未完成」を聴かされ、感想を問われて『湧き出る泉の如し』と答えたら先生にたいそう褒められたから。その時のSP盤は、ワルター指揮ウィーンフィル(1936年録音)だったと思う。ゆゑに、我がクラシックの原点は、この盤に他ならない。初めて買ったLPレコードも「未完成」だった(オーマンディー指揮フィラデルフィア管/「新世界」との腹合せ/モノラル盤)。演奏者が誰であろうと構わず、とにかく「未完成」「新世界」が聴きたかったというのが当時の偽らざる心境であった。尤も、お目当ては「新世界」のほうだったけど。
「新世界」も音楽鑑賞の授業で知った曲。演奏はヴァーツラフ・ターリヒ指揮チェコフィル(1941年録音)。第二楽章が「家路」という歌になっていて、小学校時代も終業時に流れていた。
どうでもいいけど、昔は「新世界」が第5番、「未完成」は第8番だったのに。今では第9番と第7番に変わってしまったのですね。作曲者自身が番号を付与したのならいざ知らず、単に「交響曲」とだけ記されているからだろう。愛称や番号は、後年の別人が識別のために便宜上付加したものだから、コロコロ変わっても仕方あるまい。甚だしきは、「おもちゃの交響曲」みたいに、作曲者がヨーゼフ・ハイドンからレオポルド・モッツァルトに、そしてエトムント・アンゲラー作曲へと変更されてきた。我国で言えば、江戸時代の“出来事”だから真相が詳らかでなくとも仕方あるまい。
話を「未完成」に戻すと、ワルター盤の録音より少し前、墺独合作映画『Leise flehen meine Lieder(邦題;未完成交響楽)』(1933年)が世に出ている。ずっと後年になって観た映画だが、ワルター盤第二楽章のメロディが映画と重なって仕方がない。事実、映画にもこのメロディが使われている(ワルター/ウィーンフィル演奏ではない)。原題は「未完成」の曲名とは無関係。にも拘わらず、邦題が『未完成交響楽』なのは、《我が恋の成らざるが如く、この曲もまた未完成なり》と譜面に記すラストシーンに由来する。『ロザムンデ』など愛すべきシューベルトの名曲が散りばめられていて、好きな映画の一つである。
シューベルト『未完成』-1936年録音-
ブルーノ・ワルター指揮ウィーンフィル
これまで五回ほどウィーンを訪れたが、「音楽の都」と呼ばれるだけあって、音楽(クラシックとは限らない)に溢れて特別な雰囲気がある。初訪欧時(1991年2月)、オーストリア航空成田発モスクワ経由ウィーン行(A310)の機内放送で、到着前にJシュトラウスⅡ『ジプシー男爵/入場行進曲』が流れる。クラシックファンには堪りません。名物「ウィンナ・コーヒー」「ウィンナ・シュニッツェル」「ウィンナ・ソーゼージ」「ザッハー・トルテ」「モーツァルト饅頭(チョコ)」・・・。みんな大好物ばかり。ウィーンフィルの音色も昔は独特で、まろやかで夢心地の気分を醸し出す。ところが、墺匈系男子だけの団員伝統が崩れて女性や他民族も受け容れたためか、音色までが他楽団と見分けが付かぬくらいにグローバル化してしまった。まことに残念なことである。
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