“懐メロ”というジャンルに興味を覚えたのは、西武新宿線花小金井の代用社宅に住んでいた(1975-82年)頃だから、もう半世紀近くも昔の話である。当時、TEACのオープンリールデッキで、NHK-FM「ひるの歌謡曲」を留守録音していた。そのなかに菅原都々子特集があった。ステレオ最新曲主体の番組構成ながら、偶にSP盤時代の歌手も採り上げられていた。ステレオ放送に慣れた耳には、針音を伴った雑音が却って新鮮で妙に懐かしかった。これをきっかけにSP盤復刻レコードを買い漁った。したがい、自分にとっては「懐メロ」=菅原都々子なのだ。
コロムビア、ビクター、ポリドール、テイチク、キングの大手各社復刻盤を蒐集しまくった。そこで気づいたのは、概ねその時代を代表するヒット曲ばかりで、幾ら個人的に思い入れがあろうと、ヒットしなかった曲はなかなか見つからない。売れなかった曲を復刻しても、売れないに決まってるから当然だろう。
なければないほど欲しくなるのが人情。既に廃盤となっていた『流行歌と共に40年-戦後篇-』(テイチク/1974)を新宿帝都無線で見つけたときは、涙が出るほど感激してしまった。おまけとして『ダイナ』(ディックミネ)と『うちの女房にゃ髭がある』(杉狂児・美ち奴)の腹合せ復刻SP盤までついていた。けれども再生装置(蓄音器)がないため、長らく放かってあったが、コロムビア通販で三モード(33・45・78回転)再生可能なレコードプレーヤー(DENON製)を購入して、ようやく十年ほど前から聴くことが適うようになった。
件のテイチク復刻LPで、お目当てだった曲がこれ(↓)。
憧れは馬車に乗って(1951年)
菅原都々子唄/清水みのる作詞/平川浪竜作曲
YouTube版は針音を意図的に除去したデジタル音源みたい。自分のは、盛大な針音入りの粗悪盤。しかしですね、SP盤に針音がないのは不自然で可笑しい。而して最新技術も、「懐かしさ」とは反比例する。西洋流科学的合理主義を無批判に過信してはいけない。喩えるなら音盤は賞味期限のない“音の缶詰”である。録音当時の空気(雰囲気)まで封じ込めてある。それ(針音)を除去したら、せっかくの風味(?)が損なわれてしまうではないか。
昭和26年と言えば、未だ三歳児である。しかも、菅原さんのヴィブラート唱法は、決して好きではない。否、はっきり言って嫌いである。だからこそ逆に強烈な印象を焼き付けたのかも知れない。
菅原さんの「懐かしさ」と対照的なのがバタヤンこと田端義夫アニイ。デビューしたての戦前ポリドール盤を聴くと、何故か底知れぬ懐かしさを覚える。まだ生まれてなかったにも拘わらず。
大利根月夜(1939年)
田端義夫唄/藤田まさと作詞/長津義司作曲
琴に尺八或いは三味線の伴奏、こんな日本調曲が嫌いだった。なぜなら巷に溢れていたからである。ところが、日本的なるものがグローバル化の波に呑まれて尽く消え行く今日、愛惜の念が懐かしさを呼び覚ますのだろう。SP盤のほか、SL(蒸気機関車)・石炭・蚊帳・湯たんぽなども然りである。
戦後のバタヤンで忘れられない一曲(↓)。
玄海ブルース(1949年)
田端義夫唄/大高ひさを作詞/長津義司作曲
福岡県のご当地ソング。だから子供の頃、バタヤンも地元出身とばかり思い込んでいた。この曲を聴くと、生まれ育った故郷の情景が瞼に浮ぶ。
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