童謡を聴いていて、急に子供の頃が懐かしくなってきた。グローバル化の波に呑まれてローカル色が消え失せた今日と違い、昔は方言をはじめとする厳然とした固有の文化が存在した。個人的には一都四県(福岡/大分/千葉/東京/埼玉)に跨って計11回も住いを変えたが、【住めば都】の言葉どおり、それぞれの好さがあった。
生地は福岡県筑紫村(現筑紫野市)。西鉄旧筑紫駅傍筑紫小学校の麓である。田畑に囲まれた田園地帯で、駅前には鍛冶屋さえあった。農具用のためだろうが、時偶古式に則り衣を正して日本刀も鍛えていた。旧駅には米軍空襲による弾痕痕の残る駅名標識がそのまま放置されてあった。ただし、駅は大牟田方面寄りに新しくなり、周辺も一大ベッドタウンと化して往時を偲ぶ物は殆ど消え去っている。
音楽に於ける地方色は、【ご当地ソング】ということか。福岡県なら『炭坑節』『黒田節(武士)』『博多夜船』などが挙げられる。昔は盆踊りという風習もあったから、これらは否応なく聞かされた。ところが、『炭坑節』といっても、炭坑そのものが廃坑となり、当時の面影など残っていない。母方親戚は飯塚市、志免町など、筑豊・糟屋両炭田に集中していた。そして、どこも“石炭景気”で大変な賑わいだった。
今では死語同然の“炭田=石炭の田圃”か、懐かしいなぁ石炭の臭い。汽車(SL=蒸気機関車)は、石炭で走るからSL天国だった。あぁ栄枯盛衰、石炭を運んだ勝田線の廃止に伴い、志免駅も廃駅、現在は鉄道公園になっている。唯一のランドマークは右写真(志免鉱業所竪坑櫓)のみとなっている。
正調炭礦節
歌;赤坂小梅
知ってる歌詞とやや違うが、これが「原歌」らしい。巷間伝わる“三池”は大牟田の炭坑、こちら“三井”が筑豊炭田のものと聞く。芸者だった梅若(赤坂小梅)姐さんは地元田川郡の出身。同じ「鶯芸者三羽烏」でも、小唄勝太郎、市丸とは違い、男っぽくて豪快な歌いっぷりが九州人気質に合致して好ましい。どうでもいいけどこの歌、もともとは宴席の座興で歌われていたという。したがって、元歌詞も放送コードに触れそうな「春歌」そのものらしい。
博多夜船-昭和11年
歌;音丸・・・高橋掬太郎作詞/大村能章作曲
音丸姐さんは、芸者出身ではない。東京麻布生まれで下駄屋の一人娘だったとか。芸名「音丸」は、レコード盤をイメージした洒落から名付けられたという。代表曲の『船頭可愛や』(昭和11年)も素晴らしい。幼い頃は、巷に溢れていた日本調曲が総じて嫌いだった。ところが、日本的なモノが見事なまでに失われた現在とあって、逆に懐かしさを誘うのだろう。
【蛇足】
右写真(昭和47年撮影らしい)は、福岡市渡辺通一丁目交差点にあった西鉄(路面電車)軌道操作所。子供の頃(昭和20年代後期)、交通係警察官の屯所(?)と勘違いしていた。ここで米軍MPが、警察官に替わって交通整理していたことを今でも鮮明に憶えている。
コメント