遠くチェンマイへやって来てまで韓流ドラマを話題にするのもナニだが、この一年で韓流のトレンドを象徴するようなドラマが放送された。歴史上実在したとされる女性を主人公とする時代劇がそれである。ただし、ドラマ化された時点で、史実にない政治的野心や実在しない架空の人物も織り交ぜて、物語自体が壮大なフィクション(要するに「作り話」)になっている。
ィ-華政(ファジョン)=韓国MBC/2015年・・・BSフジ
ロ-火の女神ジョンイ=韓国MBC/2013年・・・BSテレ東
ハ-師任堂色の日記=韓国SBS/2017年・・・BS-TBS
「ハ」のみ現在も放送中で明日最終回を迎える。現在、日本を離れているため、全44話中第40話までしか視ていない。
実在したとされる女主人公のモデルと舞台となった時代
イ-貞明公主(1603-1685)=光海君の異母妹・・・17世紀
ロ-百婆仙(1560-1656)=初の女流陶工(有田焼の祖)・・・16世紀後半
ハ-申師任堂(1504-1551)=初の女流画家・・・16世紀前半
歴史を辿れば「ハ」→「ロ」→「イ」と逆順になる。「イ」「ロ」に共通して第15代朝鮮国王光海君が登場する。ただし、「ロ」は国王になる以前の青年期までが舞台。「ハ」は第11代国王中宗の御代にあたるが、その出自を巡って第10代国王燕山君の名前が亡霊のように頻出する。つまり、李氏朝鮮時代の両廃王がキーワードになっているところが、如何にも【恨の文化】らしい。また三作とも、女性主人公の「伝記」というより、ありもしない安っぽい恋愛ドラマ風に仕立てられている。それに被さる媚び甘えるような今風の挿入歌が気色悪さを助長する。
共通するテーマは、現代的価値観に基づく旧弊「男尊女卑」の打破なのだろう。したがって、「ィ」「ロ」の主人公は、男勝りで革命的女闘士みたいに外見上も「強き女性」として描かれる。一風変わっているのが「ハ」で、【金剛山図】の真贋を巡る現代劇とそれが成立した500年前の時代劇が交互に進行する。主人公申師任堂(シン・サイムダン)は、日本統治時代(1911-1945)に朝鮮版修身教科書で「良妻賢母の鑑」として崇められた人である。現代韓国最高額紙幣五万ウォン札の肖像画になってるし、「東方の聖人」と謳われた息子の李栗谷(イ・ユルコク)も五千ウォン札におさまっている。ゆゑに、朝鮮初の女流画家としてより、「良妻賢母」に力点があるためか、「イ」「ロ」とは好対照に、古風で体制に従順ながら心(しん)の強い女性という内面的部分が強調されている。その意味で他二作と比べると、遥かに我国の伝統文化に近い女性像である。
面白いことに「イ」「ロ」では、当時の我国が出てくる。「ロ」では豊臣秀吉も登場するが、韓流ドラマなのでアン・ソクファンが演じている。韓国語音声チャンネルにすると、台詞が日本語で発せられたり、韓国語のままだったりする。日本語には当然字幕は付かないが、韓国語で発せられたときは、日本語字幕が付く。しかし、明らかに「일본(イルボン=日本)」と発せられた台詞の字幕は、なぜか「倭国」と訳されて表示される。これはおかしな訳であって、歴史上我国が自国を「倭国」と称したことは一度もない。そもそも「倭国」「倭寇」なる造語の「倭」とは「小さい」を意味する漢字で、中華思想が我国を蔑称するために捏造したに過ぎない。訳者は姓名からして日本人女性と思えるが、ここまで卑下するとは狂ってるとしか言いようがない。よほど歴史を知らないか或いは在日の別名なのかなぁ。
さて、「イ」「ロ」ともに、舞台として当時の長崎や江戸、大坂城などが出てくる。しかし、我国の風俗習慣を知らない韓国人(制作スタッフ)が考証したらしい珍奇な格好で笑わせてくれる。何と我国の武士が朝鮮式布靴を履いていたり、朝鮮と違って奴隷制度などとっくに廃止されていた17世紀長崎に於いて日本人奴隷商人や奴隷が屯し、逆に在りもしない硫黄鉱山で強制労働(?)させられるなど、時代考証がハチャメチャ。
改めて「イ」の主人公、貞明公主の生涯を探ると、これといった事績は何一つ伝わっていない。「男尊女卑」かつ苛斂誅求を極めた李氏朝鮮なればこそ、むしろこのほうが当たり前と言える。ところが、ドラマでは、異母兄光海君が国王になるや、命を狙われたため逃避中に和(倭)寇船に拾われ長崎で奴隷として売られて硫黄鉱山で働かされることになっている。なおかつその後、朝鮮に戻って火器弾薬発展の最大功労者という設定も含めて、みんな作り話(嘘っぱち)にすぎない。
「ロ」の主人公ユ・ジョンのモデルとされる百婆仙(ペク・バソン)にしても、日本へ渡る直前までしか描かれておらず、史実に沿う歴史劇にするつもりなど端からなかったかの如く、韓流らしい超絶誇大妄想ドラマと化している。史実に基づく百婆仙は、夫婦で日本に渡来し、夫を亡くした後も現佐賀県有田市に定住し、有田焼の祖になったとされる。ドラマのように、豊臣秀吉の意向により強制連行(?)されてきたわけではない。
まあ、ドラマ=フィクション(作り話)だから、史実に忠実にとは言わないまでも、なかったことをあたかも在ったかのように見せるのが、ドラマの醍醐味というもの。それを斯くもあっさりとウソがバレてしまうようでは、まったくの興ざめである。
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