劇場で映画を観るようになったのは何時頃だったろうか。洋画ならディズニー映画『ピーターパン』(1953年=昭和28年)を憶えている。ただし、本邦初公開は昭和30年3月だから、それ以降のはず。邦画では東宝映画『ゴジラの逆襲』(昭和30年)かな。同時上映が三船敏郎主演『決闘巌流島』(昭和31年)。初公開年が一致しないのは、封切り館でなかったせいだろう。西鉄高宮駅前の劇場だったと記憶する。昭和31年と言えば、小学三年生時分と言うことになる。
当時(昭和30年代前半)、娯楽の王者は、映画に野球と相場は決まっていた。父が野球好きだったせいもあって、野球映画に連れて行ってもらった。日活映画『川上哲治物語背番号16』(昭和31年)と東宝映画『鉄腕投手稲尾物語』(昭和34年)がそれ。前者は大相撲九州場所会場だった福岡スポーツセンター向い側の劇場(ほぼ現大丸福岡天神店の位置)、後者は大分市府内町の劇場(ほぼ現パチンコDAISYOの位置)と記憶する。
川上哲治物語背番号16
・池田一朗・・・脚本
・牧野由多加・・・音楽
・滝沢英輔・・・監督
・川上哲治、信田義弘(少年期)、牧真介(青年期)・・・川上選手
・新珠三千代・・・川上選手夫人拡子
・猪爪純一・・・川上選手子息
・河野秋武・・・川上選手父伊兵次
・高野由美・・・川上選手母ツマ
・松田瞳・・・川上選手妹
・宮沢栄子・・・同上
・葉山良二・・・土肥先生
・植村謙二郎・・・坂梨先生
・宍戸錠・・・吉原正喜捕手
・小林旭・・・武宮選手
・小泉郁之助・・・鈴木惣太郎東京巨人軍オーナー
・二本柳寛・・・藤本定義東京巨人軍監督
・美川洋一郎・・・新聞配達書主任
・田中筆子・・・同妻
60年以上も昔に一度観たきりだから殆ど憶えていないが、宍戸錠演じる吉原捕手だけは、なぜか今なお瞼に焼き付いている。先の大戦では陸軍伍長としてビルマ戦線に赴き、インパール作戦終結後の【拉孟・騰越の戦い】で玉砕したという。何も映画の影響からではないが、十年ほど前、タイ国チェンマイ滞在中、タイ人ガイドと拉孟(ビルマ名モンラー)を訪れたことがある。戦時中とは裏腹に、今や中国の【租界】も同然。成金中国人観光客がまるで皇帝になったかのように現地ミャンマー人(多くは傣族)をアゴで使い蔑んでいた。ミャンマー国内なのに、通過は人民幣、言語は北京語といったありさま。
鉄腕投手稲尾物語
・三原脩西鉄監督・・・監修
・蓮池義雄・・・脚本
・古関裕而・・・音楽
・本多猪四郎・・・監督
・稲尾和久、伊東隆(少年期)、吉田光男(高校期)・・・稲尾投手
・志村喬・・・稲尾投手父久作
・浪花千栄子・・・稲尾投手母かめの
・東郷晴子・・・稲尾久子
・堺左千夫・・・稲尾貞幸
・沢村美智子・・・稲尾エミ子
・藤原釜足・・・松田源太郎
・中北千枝子・・・松田お芳
・三島耕・・・松田正男
・柳川慶子・・・松田紀子
・白川由美・・・杉浦節子
・江原達怡・・・栗原直司
・村上冬樹・・・首藤先生
・白田肇・・・少年ファン
・星由里子、樋口年子・・・女子高生
・中山豊・・・西鉄応援団
・西亦次郎・・・西鉄球団社長
・石本秀一・・・西鉄ヘッドコーチ
・志村正順・・・野球中継アナウンサー
・小西得郎・・・野球中継解説者
・ほか西鉄球団全選手
内容はすっかり忘れてしまったが、稲尾の投球練習シーンのみ鮮明に記憶している。撮影カメラが捕手目線で捉えてあるため、稲尾の投ずる球が今にもスクリーンから飛び出して自分にぶつかりそうで、まことに怖ろしかった。そう言えば、昔の野球TV中継はバックネット裏カメラがメインだった。つまり、捕手目線のカメラアングルということ。ところが、今日ではバックスクリーン側カメラがメインとなり、正反対の投手目線アングルに変わってしまった。確かに、この方が球種やコースなどはっきり判るが、捕手目線に慣れ親しんだ者にとって違和感を禁じ得ない。変わったと言えばストライク、ボール、アウトのカウント順。フルカウントは、昔なら2-3(ツー・スリー)だったのに今では3-2(スリー・ツー)と発するわけで、どうも馴染めない。
さて、目下プロ野球は、ポストシーズンたけなわ。昔は単純にセパ優勝チーム同士が日本シリーズで“日本一”を決したわけだが、今日では交流戦やらクライマックスシリーズやらがあって複雑怪奇。極端な話、理論上、勝率5割未満(つまり借金有り)のチーム同士が日本一を争うこともあり得るヘンテコな制度に変質してしまった。
ところで、西鉄ライオンズを継承した埼玉西武が10年ぶりにパリーグを制したのだが、CSファイナル初戦をエース菊池雄星で落としてしまった。【神様仏様稲尾様】の伝説的大投手と比較しては菊池が可哀想だが、特定球団(ソフトバンク)に勝てないなんて、真のエースとは呼べまい。ウィキペディア【稲尾和久】での記事によると、
エースと言うのはトランプで切り札の意味。チームが一番苦しい時に
勝てる人の事を言うのだと思う。単に勝利数ではない。相撲の横綱の
ように品格が求められる。さすがエースと呼ばれる人は違うな、と
周りの人が思うような、人間性を伴って初めてエースと言えるのではないか。
稲尾投手は攻守交代の際、自分が荒らしたマウンドを必ず元通りに整い清めて相手投手に渡していた。打者では巨人軍王貞治選手。敬遠四球の際、打席にヘルメットとバットを静かに置き、決して放り投げることはなかった。野球を職業とする者の【品格】を見る思いがしたものである。
コメント