昭和40年代、「ナショナル劇場(スポンサー;松下電器)」と題するTBS系月曜午後8時台枠は、『水戸黄門』(昭和44年)と『大岡越前』(昭和45年)の交互放送と思いきや、後に『江戸を斬る』(昭和48年)が加わって三つ巴放送に変わったらしい。ちょうど、社会人三年目のペエペエだったため、日夜仕事に追われてリアルタイムで視た記憶がない。が、CS-TBSチャンネル2(有料)で再放送されてあり、録画していて最近になって知った次第。
☆ 第一部(昭和48年)
竹脇無我、松坂慶子、鮎川いづみ、榊原るみ、松山英太郎、松山省二、高橋元太郎
本作のみ「梓右近隠密帳」の副題付
☆ 第二部(昭和50年)
西郷輝彦、松坂慶子、遠藤真理子、松山英太郎、志垣太郎、高橋元太郎
☆ 第三部(昭和52年)
西郷輝彦、松坂慶子、ジャネット八田、遠藤真理子、松山英太郎、和田浩治、田村亮
☆ 第四部(昭和54年)
西郷輝彦、松坂慶子、ジュディ・オング、遠藤真理子、松山英太郎、関口宏、谷幹一
☆ 第五部(昭和55年)
西郷輝彦、松坂慶子、山口いづみ、遠藤真理子、松山英太郎、関口宏、谷幹一
☆ 第六部(昭和56年)
西郷輝彦、松坂慶子、由美かおる、遠藤真理子、松山英太郎、関口宏、谷幹一
☆ 第七部(昭和62年)
里見浩太朗、鮎川いづみ、有森也実、大澤逸美、松山英太郎、高橋元太郎、谷幹一
☆ 第八部(平成6年)
里見浩太朗、城之内早苗、中野みゆき、二宮さよ子、渡辺徹、左とん平、谷幹一
まだ、第一部と第四部を垣間見ただけだが、先行『水戸黄門』『大岡越前』とスタッフ、キャスト、作風など多くの共通点がある。但し、『水戸黄門』が全43部、『大岡越前』の全15部に比べると、僅か全8部の「短命」に終わっている。三作中最後発かつ同傾向ゆゑに真っ先に消滅したのもやむを得まい。しかし、それだけではないと思う。先行二作品の場合、初期の頃は「視聴率」など最終目的化されてなかった時代だけに、見応えある硬派で良心的な放送回も多かった。しかるに、後年になるにつれ、視聴者に諂うあまり面白可笑しいだけの雑な作りに終始し、「視聴率」が獲れない硬派な作品は消え行く運命にあった。
一例を挙げてみよう。
・『大岡越前』第一部第10回「裁かれるのは」(昭和45年5月18日放送)
ゲスト;大谷直子、沢淑子、高野真二、林家珍平
・『江戸を斬る』第四部第13回「悲しみを越えて」(昭和54年5月7日放送)
ゲスト;和泉雅子、川口敦子、高野真二、堀越節子
上記は作家(脚本)や登場人物・あらすじが異なっていて完全リメイク版とまで言えないにせよ、義母殺害を自ら名乗り出る「孝女(嫁)物」という共通点がある。前者が自殺幇助(死にきれず苦しむ義母の願いに力を貸した)なら、後者は母親殺しの濡れ衣を着せられた夫を庇うためのウソ。裁く側も大岡越前(加藤剛)と遠山金四郎(西郷輝彦)の違いはあるが、母親の看病を弟嫁に押し付け、大店の内儀に収まる親不孝な実娘夫婦が登場する点が同じ。余談ながら、前者では唐突に【三方一両損】の逸話も出て来る。
結論として、前者は「泣ける」のに後者では「泣けない」。なぜか? 尋常ならざる迫真の演技が前者なら、後者は何処か作為的で人情味に乏しく、薄倖な境遇に同情こそすれど、共感や感動には程遠い。たった一度の放送回だけ切り取って比較するのは無茶かも知れないが、全篇を通じても九年の歳月で時世時節が変化したことを痛感させられる。家族ぐるみで愉しめるホームドラマ仕立てはそのままなれど、大岡越前奥方雪絵(宇都宮雅代)が飽くまで昔気質の奥床しくも淑やかな貞女として描かれるのに対し、遠山金四郎内儀おゆき(松坂慶子)に至っては、女だてらに男装「紫頭巾」に扮し、刀を振りかざしての大立回りという頗る現代風で男勝りな女として描かれる始末。当時では有り得ない設定に呆れ果てるばかり。
どうでもいいけど、昔のドラマが再放送される際、現代放送コードに抵触するのか差別用語等の音声が屡々消去されており、聞き苦しいこと甚だしい。時代の流れとはいえ、何とかならぬものだろうか。
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