沖縄へ来たアリバイ写真を撮りに首里へ出向いた。午前11時にホテルを出発。最寄りのモノレール県庁前から乗車し、終点首里には午前11時40分到着。ここから20分ほど歩いて目的の首里城公園に着いたのがちょうど正午。ただし、入場料(¥820ー)を徴収される城内には入らず、城壁の外から眺めただけ。首里城本体は、戦時中の沖縄戦などでほとんど破壊されたため、戦後になって復元された建築物だから比較的新しい。
築城は凡そ14世紀末頃と推定されているが、はっきりしたことは未だに判らないらしい。なお、首里城は標準語で「しゅりじょう」と読むが、現地発音は「すいぐすく」なのだとか。日本語方言にしては発音が違いすぎるし、1429年~1879年(明治12年)の間、日本でも支那(チャイナ)でもない琉球國(はーちゅーくしょ)と称する歴とした独立国だったのだ。言語だけではなく、民族的にも「やまとんちゅう(日本人)」とは違う「うちなんちゅう(琉球人)」なのである。
とはいえ、我国に併合されて後は混血も進んでいようから、北のアイヌ同様、純血琉球人など絶滅に等しかろう。古い民家の造作とて内地とは大いに異なる。どちらかといえば台湾や東南アジアに近い。然りとて間違っても支那・朝鮮など東アジア的風味はない。今日では廃れつつあるのだろうが、独自の「琉球文化」を形成していたものと思われる。
台湾と同じく、沖縄もまた悲劇的な歴史を持つ。軍事的要衝であるがゆゑに、戦後になっても1972年(昭和47年)まで米軍占領下にあった。日本内地も1952年(昭和27年)まで占領されてたわけだけど、その後20年間も占領が続いたことになる。高校(中学)野球は占領下にありながらも戦前と同様に引き続き出場枠を確保していたものの「外国」扱いだったため、「甲子園の土」を持ち帰れず、鹿児島港(当時は船での往来が主だった)で放棄させられたことがニュースになったりしていたほどだった。そうそう、そう言えば、返還前は占領軍がそう呼ばせたのか知らんが、「沖縄」でなく「琉球」が好んで使われていた気がする。
殊更内地との違いを強調するかのような書き方になってしまった。けれども、米軍基地問題をはじめ内地と区別して特別視されることを嫌う沖縄県民の本意ではあるまい。歴史的経緯はどうであれ、今は同じ【日本人(つまり「同胞」)】なのだから。
書き落とすところだった。沖縄・那覇もすっかり国際都市になったものだ。首里城公園では、米国人と思しき西洋人を始め、関西弁、名古屋弁に混じって北京語、韓国語、広東語、台湾語、タイ語などが飛び交っていた。那覇空港国際線を結ぶ航空路がある都市は台湾(台北・台中・高雄)、中国(北京・天津・上海・杭州)、香港、韓国(ソウル・釜山)、タイ(バンコク)。特に、台湾・台北までなら約1時間足らず、東京・羽田までの2時間半より遙かに近い。拠って、沖縄を訪れる外国人観光客の筆頭は台湾人なのだとか。
そんなところです。
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