テレビ時代劇・映画を巡って、「浪花節的(義理人情)」だの「滅びの美学」だの他人様には理解し難い語句を持出しているが、そもそも我国は諸外国と比べて国体(国柄)を大きく異にする。即ち、島国ゆゑに外敵の脅威が軽微なうえ、近世(江戸時代)までの鎖国政策により独自の文化を醸成してきた歴史的経緯がある。テンニース説を借りれば、ゲマインシャフト的要素を色濃く留めているのだ。
「ゲマインシャフト」もこれまた一般に馴染みの薄い社会学用語なので、ウィキペディアからそっくり引用しておこう。
ゲマインシャフトとゲゼルシャフト
テンニース(1855-1936)は、人間社会が近代化すると共に、地縁や血縁、友情で深く結びついた自然発生的なゲマインシャフト(Gemeinschaft、共同体組織)とは別に、利益や機能を第一に追求するゲゼルシャフト(Gesellschaft、機能体組織、利益社会)が人為的に形成されていくと考えた。
ドイツ語では、Gemeinschaft(ゲマインシャフト)は概ね「共同体」を意味し、Gesellschaft(ゲゼルシャフト)は概ね「社会」を意味する。テンニースが提唱したこのゲゼルシャフト(機能体組織、利益社会)とゲマインシャフト(共同体組織)とは対概念であり、原始的伝統的共同体社会(共同体組織)を離れて、近代国家・会社・大都市のような利害関係に基づき機能面を重視して人為的に作られた利益社会(機能体組織)を近代社会の特徴であるとする。
ゲマインシャフトでは人間関係が最重要視されるが、ゲゼルシャフトでは利益面や機能面が最重要視される。
日本においては、労働集約型の農業を基礎に「協働型社会」とも呼べるものが形成されていたと言われる。これは産業革命、工業化のプロセスに従って企業共同体へと変貌したと言われる(日本型社会主義)。しかし、バブル崩壊、経済のグローバル化、終身雇用制の崩壊、派遣労働者採用の増加等に伴い、かつて企業そのものが家族共同体のようであると評された日本の企業風土も1990年代以降大きく変貌したと言える。
ウィキペディアの記述に従うなら、おのれが【時代劇】を観て感じる転換期と現実の社会現象として顕れる時期との間に約二十年の隔たりがあるが、浮き世の流行り廃りというものは往々にして大衆メディア(この場合、映画・テレビ)が先行しがちということ。濃密な人間関係に根ざす「家族主義的共同体組織」と呼ぶべき我国固有の社会形態なれど、外来の文化・風俗流入とともに、様々な葛藤が生じて当然であろう。仏教的無常観ではないが、《森羅万象永久不滅の事物はない》のだから。
一口に濃密な人間関係と言っても、時と場合によって功罪半ばする。他人の助力を要する場合などなら好都合だが、関係維持のための人付き合い(義理)が煩わしい。「文明の利器」が持て囃される現代なればこそ、前者より後者が圧倒的大多数を占める。勢い、人付き合いが疎ましくなるのも道理。「義理人情」云々などと偉そうな講釈を垂れる私奴とて、手前勝手な都合で近所付き合いするのみ、隣人と言葉を交わすことさえ皆無に等しい。
趣味の音楽観賞にしても、若かりし時分、クラシックの外はポップスやロカビリーといった洋物が好物で、三味線・尺八の音色さえ嫌いだったにも関わらず、滅び行く物への愛惜の情が湧いてか、好みが逆転し妙に懐かしくなるから不思議だ。次稿より、これら消え失せようとしている日本情緒をたっぷり含んだTVドラマを追ってみたい。とはいえ、テーマがテーマだけに、昭和40年代まで、かつ「時代劇」に限られてしまうのもやむを得まい。
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