テレビ時代劇の長寿番組に『水戸黄門』(1969年~;TBS系)がある。連続ドラマとしては終了したのかも知れないが、スペシャル版単発形式なら昨年(2015年)も新作が放送されたようだ。リアルタイムで視て知ってるのは初期の東野英治郎主演版だけ。とは言え、西村晃、佐野淺夫、石坂浩二版も再放送を垣間視たことがあるので、まんざら不知というわけでもない。ただし、最新の里見浩太朗版は全くの未見である。
自分のなかの水戸黄門イメージは月形龍之介である。映画で得たイメージとばかり思い込んでいたら、モノクロ時代の昭和39年(1964年)にはテレビ版も放送されていたのですね。ウィキペディアの記事を読んでいて想い出したけど、そうそう石濱朗、坂本九らが出演してたし三波春夫歌うタイトル歌『水戸の黄門さま』・挿入歌『水戸黄門旅日記』も憶えているぞ。監督が松田定次とあっては、映画版と記憶を違えるのも無理はない。
水戸黄門旅日記-三波春夫
画像は映画物のようです。
月形龍之介版は、本来が【武家】である点を強調して描かれており、一見近寄り難い威厳に満ちた【黄門さま】となっている。従って、本稿で採り上げる後発カラー版の庶民性に力点を置いた好々爺然とした親しみやすい【黄門さま】とは印象が大きく異なる。個人的な好みを言わせて貰うなら断然前者なのだが、視聴率を稼ぐ記録的人気番組になり得た理由は、後者のキャラクターに因るところ甚大と認めざるをえまい。
懐かしさもあってレンタルDVD、市販DVD、放送録画と合わせ、初代東野英治郎版第1部(昭和44年)~第13部(昭和57年)のほぼ全話を視聴している。各部を比較してみると、第1部だけが月形龍之介版を踏襲するように、殆ど笑わない武家としての厳格な側面を前面に押し出した感じがする。もちろん、喜劇仕立ての放送回もないではないが、他部に比べると物語がやや硬く悲劇的な結末に終わる印象を免れない。
この番組のお約束(定番)ごとである【三つ葉葵の印籠】を見せて正体を明かすシーンは第3部後半まで定着しておらず、試行錯誤だったのだろう。元々第1部で完結するはずだったのが、好評を得て続編(第2部以降)が作られたのだとか。ゆゑに、各回物語そのものは第1部でほぼ出尽くしており、場所や登場人物が異なるだけで大筋は同じというものばかり。連続して見続けていると、そのことがよくわかる。
歴史上の人物である水戸黄門(徳川光圀)は、徳川御三家の中枢にありながら尊皇派だった点が国民的人気を呼び、幕末から明治初期にかけて広く人口に膾炙するようになったという。然れども、全国世直し行脚の旅に出る『水戸黄門漫遊記』は、史実と異なる後年の【作り話】にすぎない。
視聴率でみると、全43部中第9部~第11部が人気絶頂期であったらしい。その秘密を探ると、物語性にあるというより、訪問地の名産・名所旧跡紹介が人気を博したのではないか。要するにバラエティ部門で旅番組が視聴率を稼ぐのと同じ理屈である。次稿で書くつもりだが、自分も旅情を掻き立ててくれる旅番組が好きだ。ドラマで言えば国鉄物。『JNR公安36号』(昭和37年)の時代から好んで視ていた。
話が逸れたが、視聴率とは別に物語の面白さという点で言えば、第3部~第6部辺りが最も充実しているように思う。お約束ごと(印籠)が定着し、悲劇的展開が影を潜めて全体的に明朗な喜劇仕立てになっていく。登場人物のうち、うっかり八兵衛(高橋元太郎)のキャラクターが好きなのだが、彼の人徳によるところが大きいのかも知れない。そこへ行くと、視聴率の高い第9部~第11部ともなると、いよいよ“二番煎じ”の感を免れず、これ見よがしのお笑い場面が却ってイヤミに映ってしまう。結局、【視聴率】という魔物に縛られてそれを気にするあまり、制作陣としての主体性や自信を失った結果、毒にも薬にもならない微温湯的作風に成り下がってしまったのではないだろうか。初期の頃は、もっと意欲的で作品に愛情が籠もっており、当たり外れはあるものの、秀作も多かった気がする。
あゝ人生に涙あり-『水戸黄門』主題歌
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