一般人の日常生活から懸け離れた映画・TVドラマをさんざん酷評しておきながら、ここ十日間ほど、おのれの暮らしぶりこそが非日常的かつシュール(超現実的)な隠遁生活に陥っている。と言うのも、不意の視覚障害に襲われているためである。同じ症状なら、中学校卒業時(昭和38年;1963年)以来、幾度となく経験してきだし、これまでであてば患部が視界の外へと徐々に移動し、遅くとも一時間以内には自然回復していた。ところが、今回はなかなか症状が治まらないのである。症状が出ない時もないではないから、完全固定化した疾患ではないのかもしれない。
そんなわけで、恐怖と不安に苛まれて夜になっても眠れないし時差呆けみたいに昼間からカーテンを閉め切り、なるべく薄暗い状況にして日がなベッドに横たわっているありさま。まさに“生ける屍”状態であtる。我ながら何とも情けない。このままでは、老人性鬱病になってしまいそう。遠い昔のことなので或いは記憶違いかもしれないが、小四時(昭和32年;1957年)、担任の先生から、【他人を頼らず、独力で生きていける者こそ最も強い人間】という意味のことを示唆され、爾来、何より人間関係のしがらみによる束縛を嫌って独り暮らしを貫いてきた。確かに、若くて元気なうちは自由気儘で甚だ都合がよかったのだが、身体の自由が利かなくなりつつあるこの歳(67歳)になると、責任のない勝手気儘な生活のツケが回ってきたようだ。不安や悩みを聞いてくれる最も身近な妻子とてなく、悶々とした孤独な余生を送るハメになってしまった。
社会に対するおのれの役割はもう終わったと言うことなのかもしれない。このまま孤独死してしまうのか、などと想像するだに恐ろしい。
ところで、夜眠れないのでウォークマンA-16のFMラジオ受信機能を使ってNACK5(FM埼玉;79,5MHz)の深夜トーク番組を聴いている。自分の学生時分(昭和40年代前半:1965-1970)はAM放送だったけれど、番組内容的には若者向けに特化した感じで何ら変化はありませんね。変わったことといえば、自分自身が老人になって聴取者対象ではなくなってしまったことぐらい。会話にせよ流される音楽にせよ、まるで別世界であって、私奴みたいな老い耄れが入り込む余地など皆無である。何だか寂しくなってしまう。
うっかり書き落としてしまったが、繁華街から離れているとはいえ東京都心の新宿にありながら、薄暗い部屋で耳をそばだてていると、日中なのに不気味なほど静かですよ。。偶に聞こえてくる音と言えば、直下階の内装工事音と廃品回収のスピーカー音程度。今回のみっともない状況下での新たな発見でした。
《追伸》
どうでもいいけど、通常なら30分もあれば済むたったこれだけの文章をアップするのに、約4時間以上かかってしまった。視覚障害さえなければ・・、などと言い訳がましいことは決して言うまい。この哀れな状況こそが、今現在のおのれの【真実の姿】なのだから。トホホ。
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