あ~ぁ、また買っちゃったDVD。スカパー!無料開放の間、ホームドラマチャンネル(CS294)で放送中の『3人家族』(TBS;昭和43年)を視たのがいけなかった。このドラマだけは、なぜか無料放送で何も無料開放期間中でなくとも視られたわけだが、放送自体を知らなかった。従って、途中(全26回中第7回)から視るハメとなってしまった。幸いにしてDVDが市販されており、ネット通販(Amazon)で購入せしめた次第。
価格が定価の半額だったことから、ついでに『記念樹』(TBS;昭和41年)も同時購入。TBS制作の木下惠介劇場(アワー)ものとしては、現有の『おやじ太鼓』(TBS;昭和43年)と合わせて一挙に三作を所有するに至った。このうち『おやじ太鼓』を定期的に視ていただけで、その習慣から後継作の『3人家族』も視ていたのだろう。他作の視聴記憶はない。それでも『記念樹』のみは視た憶えがある。ただし本放送時間帯とは異なり、夕方だった気がする。ゆゑに、視たのは再放送だったのかもしれない。
「ホームドラマ」とはもともと【“家庭”に関わる劇】を指す和製語だが、自分は【家族ぐるみで愉しめるドラマ】という意味に用いている。その「ホームドラマ」の原点は、『バス通り裏』(NHK;昭和33年)辺りかな。ほぼ毎日、決まった時間(19:15~)に視ているわけだから、ドラマのレギュラー陣をつい身近な存在のように錯覚してしまう。テレビが“家族の共有物”であった時代、これこそが“人気の秘密”でもあったろう。
日本古来の「家制度」が名実ともに瓦解するにつれて、「ホームドラマ」も激減して行った。親許を離れて独り暮らしするようになった(1971年=昭和46年)自分のことを考えてみれば、「ホームドラマ」の衰退と時期が奇妙に一致する。時代の要求に合わせて、個人で愉しむドラマが主流を占め、「ホームドラマ」は漸次減少傾向にあったのも事実だが、何より自分自身がこの種のドラマ(というか「テレビドラマ」全体)に興味をなくしていた。
実際、これまで主に「時代劇もの」を中心に録画してきたが、1971年以降では初期の『必殺シリーズ』と『木枯し紋次郎』を除いてほとんどが初見のありさま。しかも、時代劇に限らず観賞に堪えうるようなテレビドラマそのものが皆無に等しい。おのれの好みに合わないのもさることながら、1980年代に入るとまるで(無知な)視聴者を諭すかのように、上から目線で益々押しつけがましくなって行く。ドラマの類を視なくなったのも道理である。“視聴者白痴化洗脳機”でしかないクセして、思い上がった「テレビ」に騙されてたまるか、ってな具合である。
結局、おのれの好みに合致し再度視たくなるような作品は、1960年代(昭和45年頃)までのものに限られてしまう。単なる“懐かしさ”だけではないのだ。ドラマがバーチャル(空想)な世界を描いていることは承知しているが、妙に身近な出来事のように思えてならない。制作者側が視聴者と同じ視点に立っている(多分)から、仮に自分だったらどうするかと、登場人物とともに思案する余地が含まれていたような気がする。
自分なりの結論を先に書くと、ドラマ作り今昔の決定的な違いは、昔のドラマが視障者をして“考えさせる”ように作られていたとすれば、現在に近づくほど“見せる”ためだけに作られているのではないか。一方的な価値観の押し付けと感じてしまうのもそのせいだろう。
例えば、件の『3人家族』。【人間の価値(値打ち)】は何で決まるか、という重い問題が何気ない会話の中に散りばめられている。確信めいたものは誰一人持っておらず、登場人物個々の考え方も千差万別である点が興味深い。年老いた今となっては父子家庭の父親(三島雅夫)の意見【他者への思いやり】に同調するが、昭和43年当時だったら浪人生次男(あおい輝彦)の何も考えてない考え方に近かったかもしれない。
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