前年(昭和39年)は、ビートルズらリヴァプールサウンドと称する英国系ロックバンドが日本を席巻した年でもある。それが原因かどうか詳らかではないが、この頃から外国曲の日本語カバー盤が極端に減っていった。
一つには、『上を向いて歩こう(SUKIYAKI)』の世界的なヒットにより、我が歌謡界の現状とズブズブの関係にある“和製ポップス”なる分野が確立し、ポップ・ロック風味の国産曲(?)が大量生産されるようになったことが挙げられよう。
それに、リヴァプールサウンドはオリジナルバンドで聴いてこそが醍醐味であったし、国内バンドの技術レベルではその再現がかなり難しかったことがある。実際、人気に肖って【東京ビートルズ】とかいうバンドも出来たが、歴史的な意義を別にすればマイナーな存在に甘んじ、皮肉なことにグループサウンズの隆盛を機に消滅していった。
天の邪鬼な自分は、星加ルミ子や湯川れい子らが得意気に語れば語るほど、ビートルズが嫌いになっていった。お気に入りは、デイヴ・クラーク・ファイヴとローリング・ストーンズという対照的なバンド。前者が良家のお坊ちゃまたちなら、後者は不良若者集団といった感じ。
翌年(昭和41年)、大学へ進学することになるが、それと軌を一にしてロカビリー(洋楽)熱も急激に失せてしまう。そんなわけで本シリーズも、今回を以て最終回とします。
☆ 夢みるシャンソン人形 by 弘田三枝子(昭和40年)
☆ オリジナル盤
Poupée de cire, poupée de son by France Gall(昭和40年)
日本語盤は中尾ミエが最も流行ったように記憶するし、そのCD復刻盤を所有しているが、ネット上になかったので弘田盤を代用。女の歌だから好んで聴いていたわけではないが、フランス・ギャルの歌声も結構耳に残っている。当時、英語や独語(クラシック音楽で)は耳慣れていたものの、仏語は馴染みが薄くたいそう新鮮な響きを感じた。
☆ 知りたくないの by 菅原洋一(昭和40年)
☆ オリジナル盤
I Really Don’t Want to Know by Elvis Presley
菅原洋一のオリジナル曲とばかり思い込んでいたが、原曲はエディ・アーノルドが昭和28年に歌ったカントリーソングだとか。しかし時期的に観て、エルヴィス・プレスリー盤を意識したものだろうから、こちらを採っておく。だた菅原盤がヒットしたのは昭和42年のことで、高三時の曲とするには、些か同時性が薄い。
☆ 悲しき願い by 尾藤イサオ(昭和40年)
☆ オリジナル盤
Don't Let Me Be Misunderstood by The Animals(昭和39年)
これは、当時流行りのモンキーダンスの振付とともに大ヒットしました。でも、今聴くとテンポがやや遅く感じるのは気のせいだろうか。
* ご参考 *
Because by The Dave Clark Five
Paint it Black by The Rolling Stones
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