昭和32年は、生まれて初めて異郷(?)の地へ転居(転校)した年である。環境が変われば、性格まで変わるのか。ちょうど自我に目覚める端境期でもあったろうが、よい意味で別人になってしまった。小三までの福岡の小学校は、現代社会に通じる都会的かつ進歩的な気風に富んでいた。ところが大分のほうは、まるで正反対。どちらかと言えば、戦前教育や斯くありなんと思わせるに十分な、田舎風で保守的な土地柄だった。
最初のうちは、慣れぬ大分方言に戸惑いもしたが、生来の勉強嫌いにとって、これほどの好都合はなかった。何せ担任の先生は、【よく遊びよく学べ】ならぬ【勉強するよりもっと遊べ】だもんね。自閉症気味の性格が、コロッと一転するのも無理はない。
☆ 青春サイクリング(昭和32年) - 小坂一也
つい運動したくなるような、こういうリズミカルな曲って大好きですね。もちろん、当時から口ずさむことができた数少ない曲の一つ。確か宮田自転車だか何処かの広告歌と記憶するが、子供自転車で遠出する際のベストマッチ曲。しかし、小坂一也は本来ロカビリー畑の人で、小学生としては、西部劇TV・映画『ライフルマン』『ローハイド』『デビー・クロケット』などの主題歌をカバーした歌のほうが馴染み深かった。
☆ 俺らは東京へ來たけれど(昭和32年) - 藤島桓夫
同年同歌手によるヒット曲『お月さん今晩は』を採り上げる予定が、偶然にこれを見つけてドタキャン変更。懐メロファンを自認していながら、すっかり忘却していた。56年ぶりに再会(?)出来て、頗る懐かしい。これぞ世に紛れもない「懐メロ」と言わずして何と言おう。レーベル曲名の【来】が【來】と旧字体(正字)であるところが、また凄い。
自分を含めて日本では忘れられた歌だが、台湾では『媽媽請妳也保重(母さん御身大切に)』の曲名で広く知られているらしい。アイドル期の卓依婷さん(昭和56年生)も台湾語で歌ってます。
☆ 未練の波止場(昭和32年) - 松山恵子
前掲の藤島桓夫と此の“お恵ちゃん”はデビュー時、潰れたマーキュリーレコードというマイナーレーベルに居たため、オリジナル音源を捜し出すのが難儀なのですよね。しかし、台湾のサイトで勇躍見つけた。
なぜか、布団を被って泣いてる場面と連動してよく憶えている。お二方とも、かなり灰汁の強い歌唱法で、小学四年生が好むはずはないのだが、年齢を重ねると共に懐かしくなるのは何故だろう。思うに、こうした歌い方や田舎風な曲が、次第に“過去の遺物”と化しているからに他なるまい。廃れ行く物に対する愛惜に駆られ、無性に口惜しくなるのではなかろうか。
☆ いのちの限り(昭和32年) - 大津美子
本当は『純愛の砂』にしたかったけど見当たらず、次善の策を施したが、これもなかなかの佳曲。大津美子さんは、この頃が人気絶頂期だったように思う。清らかで美しいオペラティックな歌唱法は、小四児童をも惹き付けた。クラシック(古典音楽)に関心を寄せるようになったのは、中学校の音楽授業に影響されてだが、小学生時分から発芽胞子があったのかもしれない。
☆ おさげと花と地蔵さんと(昭和32年) - 三橋美智也
う~む、歌詞とは環境がかなり異なるが、自分の「あの頃」が甦る。今日、こうした田舎(故郷)を想い出させてくれる曲が廃れましたねえ。尤も自分の故郷にしろ、もう所縁の人は居ないし、田圃だらけで何もなかった土地柄も一大住宅街へと変貌を遂げ、田舎の風景など何処を捜してもありませんからね。今更悔やんでみても、“後の祭り”となってしまいました。
コメント