☆ 時間の効用
皆人氣短故に、大事を成らず仕損ずる事あり。いつまでもいつまでもとさへ思へば、しかも早くなるものなり。時節がふり來るものなり。今十五年先を考へ見候へ。さても世間違ふべし。未來記などと云ふも、あまり替りたる事あるまじ。今時御用立つ衆、十五年過ぐれば一人もなし。
今の若手の衆が打つて出ても、段々下り來り、金拂底すれば銀が寶となり、銀拂底すれば銅が寶となるが如し。時節相應に人の器量も下り行く事なれば、一精出し候はば、丁度御用に立つなり。十五年などは夢の間なり。身養生さへして居れば、終には本意を達し御用に立つことなり。名人多き時代こそ、骨を折る事なり。世間一統に下り行く時代なれば、その中にて拔け出るは安き事なり。
【 訳 】
誰でも短気を起こして、大事なことを仕損じてしまうことがある。まだまだと思ってさえいれば、逆に早く望みを達せられるものである。つまり、時節が到来するものと言えよう。今十五年先を考えてみなさい。世間の様子は違っていることだろう。未来記などというものもあるが、あまり変わったことはないようだ。今役に立つ人も、十五年過ぎれば、一人もいなくなってしまう。
現在の若い人にしても、半分ぐらいしか残ってはいまい。段々世の中が駄目になって、金が底をついてしまえば、銀が宝となり、銀がなくなれば銅が宝となるようなものだ。時の流れとともに、人間の能力も下降するのだから、ひとつ踏ん張って努力すれば、十五年過ぎてからちょうどよく役に立つようになるものだ。十五年などは夢の間のようなもので、身体に気をつけさえすれば、ついには本願を達してお役に立つようになる。名人の多い時代は却って大変だ。世間一般が駄目になって行く時代であれば、そのなかから抜きんでることはたやすいはずだ。
【 解説 】
人生をニヒリストとリアリストの目で冷たく見据えている常朝は、この人生を夢の間の人生と観じながら、同時に人間が否応なしに成熟していくことも知っていた。時間は自然に人々に浸み入って、そこに何ものかを培っていく。もし人が今日死ぬ時に際会しなければ、そして今日死の結果を得なければ、容赦なく明日へ生き延びていくのである。
常朝は六十一歳まで生き延びたときに、しみじみと時間の残酷さというものを感じたに違いない。一面から見れば、二十歳で死ぬも、六十歳で死ぬも同じ陽炎の世であるが、また一面から見れば二十歳で死んだ人間の知らない冷徹な人生知を、人々に与えずにはおかぬ時間の恵みであった。それを彼は「御用」と呼んでいる。
「御用」とは何か。先にも言ったように、武士として役に立たぬことには一顧も払わなかった彼は、一方では、はかない世を心にとめながら、一方では、あくまでプラクティカルな実用的な哲学を鼓吹した。そこで彼は、「身養生さへして居れば、終には本意を達し御用に立つ事なり。」という、最も非『葉隠』的な一句を語るのである。彼にとって身養生とは、いつでも死ねる覚悟を心に秘めながら、いつでも最上の状態で戦えるように健康を大切にし、生きる力にみなぎり、一〇〇パーセントのエネルギーを保有することであった。
ここに至って彼の死の哲学は、生の哲学に転化しながら、同時になお深いニヒリズムを露呈していくのである。
時間というのは、不思議な次元ですね。一日24時間であることに変わりはないのに、子供の頃は長かった一日が、今はあっという間に過ぎてしまい。愉しく嬉しい時間は短く、悲しく苦しい時は長い。或人は、「子供時分は、仮に10歳とすると1日/365日×10年に過ぎないが、年齢を重ねた60歳なら1日/365日×60年になるからよ。」と事も無げに言う。
何だか詐欺師みたいな似非計算式ではあっても、妙に納得させられます。また、愉しい時間が短く感じるのは、時間が経つのが早いわけではなく、愉しい時間が続いて欲しいと思う気持が時間感覚を狂わせているのでしょう。
まあ、こんなことは本旨でありませんね。『葉隠』の言わんとするところは、「機が熟すのを待て。」ということかもしれません。時間に関して自分が日頃思うことは、時間の経過とともに或る物を得、それと引き替えに或る物を失っているのではないか、ということです。
四年前、会社を早期退職した際、失業保険欲しさの浅ましい魂胆で暫く品川ハローワークに通っていたときの話。「中高年者のための再就職講座」に参加したのですが、就職に当たって、優点と劣点を列挙することになりました。概ね、優点に挙がったのが“社会経験が豊富”、劣点が“年齢が高い”。これって、よく考えると、優点を得るために、代償として年齢を重ねたのですよね。三島が書いてあるように、時間は経過とともに人間の内面を成熟させるが、逆に外面を老いさせる、という相関関係があることに気づかされます。
一日、一日を大切に
これは大分時代“奥様”の座右の銘。もちろん、“ままごと遊び”でのこと。今頃どうしているのかなあ。こちらは日々老いていきますが、先様は何時までも中学三年生のまま。なぜなら、昭和37年に大分を離れてまもなく、先方も引っ越してしまい、以後一度もお目にかかっていません。こうして、想い出が「美化」できるのですよ。有り難や、有り難や。
因みに、わたくしめのばやいは、
人を疑うまえに自分を疑え
おそまつさまでした。
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