☆ 交際の心得
何方へ咄などに行くには、前方申し通じてより行きたるがよし。何分の隙入あるべきも知らず、亭主の心懸りの所へ行きては、無興のものなり。総じて呼ばれねば行かぬに如(し)くはなし。心の友は稀なるものなり。呼ばれても心持入るべし。稀の参会ならではしまぬものなり。慰講は失多きものなり。又問ひ来る人に、たとへ隙入るとも不会釈しまじき事なり。
【 訳 】
何処かへ話などしに行くには、先方に話をとおしてから行くのがよい。どんな取り込みがあるかもしれないし、主人に心配事があるような所へ行き会わせたら、興ざめである。総じて招かれない所へ行くことはない。心からの友など稀なものだからだ。招かれたとしても、気持が沈んでしまったりするのが普通だ。稀な集会で会うぐらいでは、なかなか打ち解けない。慰め事で集まるような場では、失敗が多いものである。また、たとえ取り込み中でも、訪ね来る人があったら、会わないようではいけない。
【 解 説 】
人との交際における誠実を説いた常朝は、ここでは人との交際における自尊心の必要について説いている。それは同時に、人間の付き合いというものに対する常朝の呵責ないリアリズムの観察から出ているのである。
これは『葉隠』に言われなくても、交際の常識というべき心得でありましょう。それにしても、交際術まで記してあるとは、細かいところまで気を遣った教科書ですね。学校などなかった時代。『葉隠』は謂わば鍋島藩の教科書になっていたものと思われます。
当然、会社組織にも教科書に相当するものがあります。自社では「事務手順書」と呼ばれていました。これに従って事務処理を行うわけです。慣れないうちは、何もわからないので直ぐに引っ張り出して調べるのですが、ある程度経験を積むと、応用も利くようになります。しかし、この時が一番危ない。知ったかぶりで我流に走り、失敗しやすいものです。
で、この手順書、うまくできているんですね。それぞれのステップに意味が込められているのです。例えば金銭授受の場合、納金者印、受金者印、役席点検者印、と三人の押印がなければ完了しません。何とも面倒な、と思いますが、あとで何か問題が起きたときのため、金銭授受当事者以外にも第三者が関与するシステムになっているのです。
これは、不正防止の目的もありますが、それ以外にも人間は完全ではないから失敗しやすいもの。そういう前提に立ち、一人では決して処理完了出来ないようになっているのです。これを「相互牽制」と呼んでいました。
会社の合併で感じたのは、同業種であっても事務処理の仕方がまるで違うんですね。新入社員に戻ったような気分でした。この違いが、それぞれの社風というか、伝統なのでしょうね。
話が逸れて失礼致しました。
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