☆ 教 訓
世に敎訓する人は多し。敎訓を悅ぶ人は少なし。まして敎訓に從ふ人は稀なり。年三十も越したる者は、敎訓する人もなし。されば敎訓の道ふさがりて、我儘なる故、一生非を重ね、愚を增して、廢るなり。道を知れる人には、何とぞ馴れ近づきて敎訓を受くべき事なり。
【 訳 】
世の中一般、教訓を述べる人は多いが、それを悦んで聞く人は少ない。まして、よく理解して実践する人は稀である。三十歳も過ぎた者には、教訓してくれる人も居ない。教訓されることもなくなって、わがままになるから、一生過ちを重ね、愚行を増して駄目になってしまうのである。だから、道理を知ってる人には、何とか馴れ親しんで、教訓を受ける必要があろうというものだ。
【 解 説 】
初めはいやいや教訓を承っていた若い人たちも、やがて自分が教訓を与える立場になると、もはや人から教訓を受ける機会はない。かくて精神の停滞が始まり、動脈硬化が始まり、社会全体の避け難い梗塞状態が始まるのである。
日本は不思議に近代史を見ても、青年の意見が恐れられるのは動乱の時代であり、しばらく平和な時代が続くと青年の意見は無視されるようになる。
中国の紅衛兵問題は、日本のある若い人たちに痛快な刺激を与えた。しかも若い人々の意見が、社会にプラスになるように、巧みに一定の水路に導かれることは、極めて稀である。紅衛兵問題の混乱もその一例であり、昭和十年代の日本における青年将校の思想が、さまざまな曲折のうちに結局悪しき政治目的に利用されたのもそれであった。
近代史において、青年の意見がそのまま国の根幹を揺るがし、かつ国の形成に役立ったのは、明治維新をおいて他にはない。
これは、解説がなくとも身に覚えがあります。保険会社で三十五年間お世話になりました。そして、新入社員(相互会社の場合、「社員」とは契約者を指すので、社内では専ら「職員」と称されていた。)時代はもちろん、ず~っと窓際族を満喫しておりましたので常に教訓を受ける側でした。
「葉隠」とはずいぶん年齢に隔たりがありますが、五十歳を過ぎた頃でしょうか。周りを見渡せば、自分が最年長者。上司といえども、年下の人ばかりになってしまいました。その時は、まったく自覚がなかったのですが、たいそう勝手気ままに振る舞っていたようです。
上司には逆らうは、昼休みは自分時間で取るは、あれやこれや。それでも、怖がってか誰も注意してくれないんですね。まあ、注意してくれない、と思うこと自体がわがままな証拠ですね。
で、気がついたきっかけが、「お疲れさま」「ご苦労さま」を巡っての社内メールの遣り取りです。防災訓練に参加してもらった所属長(年下の部長)宛に「ご苦労さまでございました。」という旨のメールを打ったのですが、別職場の同僚(自分よりずっと年下)は、「目上の人には“お疲れさま”が正しい」と言うんですね。
釈然としないものがありましたが、彼の意見を採り入れて、爾来、それに遵ってきました。この時、思ったのであります。ああ、自分は時代に取り残されているんだ。若い人の意見をもっと聞いて勉強しなくっちゃ、と。「お疲れさま」「ご苦労さま」の使い分けについては、すでに解決しましたので、従来風に戻しました。
三島の解説には、同時代を知っているものとして頷くばかりです。このとき(紅衛兵問題)騒いだ連中が、今は「保守」を名乗って騒いでいますまいか。余事ながら、どうもそんな気がしてならないのであります。
ありがとうございました。
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