☆ 始めに勝つが、始終の勝なり
鐵山、老後に申し候は、
「取手は相撲には違ひ、一旦下になりても、後に勝ちさへすれば濟む事と心得罷り在り候。近年存じ當り候は、一旦下になりて居り候時、若し誰ぞ取りさかへ候はば負けになるべし。始めに勝つが始終の勝なり。」
と申し候由。
【 訳 】
鉄山が老後に言った事は、
「組打ち(取っ組合い)は相撲とは違い、一旦組み伏せられても、最後に勝ちさえすればよいと思っていた。ところが、近頃考えた事は、一旦下になっている時、もし誰かが双方を引き分ければ、結局負けた事になってしまうということだ。始めに勝つ事が常に勝つ事だ。」
と。
「組打ち」とは、いわゆる「喧嘩」の類を言うのでしょうか。この「教え」はわかるような気がします。
相撲のように誰もが認めた一定の「ルール」がある場合には、それに則った戦い方もあるでしょうが、喧嘩の場合はルールなどないに等しいわけですから、途中で仲裁が入ったりして、双方の思惑とは違う結末もあり得ます。そんなことを念頭に置いた「教え」でしょう。“先手必勝”の考え方ですね。
この“先手必勝”は、日本古来の兵法になってはいますまいか。先の大戦でも、“先手必勝”を誓ってハワイ・マレー沖海戦に臨み、嚇々たる戦果をあげて、その有利な戦況下で「講和」に持ち込みたかった、とも巷間聞き及んでおります。
あれっ? 「嚇々(かくかく)たる」の漢字変換が出来ませんね。これも、不戦平和主義者たちの仕業か。な~んちゃって。
余談はさておき、喧嘩や戦争は個人・国家(集団)の違いはあれど、究極のエゴのぶつかり合いですからね。ルールがあってないようなものでしょう。幾ら「ルール(法規)に則って」と叫んでみても、相手にその気がなければ、泥棒に向かって「待てえっ!!」と言って追いかけるようなもの。ルールを盾にしたところで、相手がそれを理解すればこその話、残念ながら守る意志のない相手には通用しません。
自分はどちらかというと、“先手必勝”よりも断然“逆転勝利”派ですね。相撲は「うっちゃり」、競馬は「怒濤の追込馬」、野球は「9回二死から起死回生の逆転サヨナラ」。これですよ、これ。勝負の醍醐味は。
ありがとうございました
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