☆ どんな人間にも、学ぶべき点がある
一鼎の咄に、よき手本を似せて精を出し習へば、惡筆も大體の手蹟になるなり。
奉公人もよき奉公人を手本にしたならば、大體にはなるべし。今時よき奉公人の手本がなきなり。それゆゑ、手本作りて習ひたるがよし。作り樣は、時宜作法一通りは何某、勇氣は何某、物言ひは何某、身持正しきは何某、つゝ切れて胸早く据わる事は何某と。諸人の中にて、第一よき所、一事宛(づつ)持ちたる人の、そのよき事ばかりを選び立つれば、手本が出來るなり。
萬づの藝能も師匠のよき所は及ばず、惡しき曲(くせ)を弟子は請け取りて似するものばかりにて、何の益(やく)にも立たざるなり。時宜よき者に不律儀なる者あり。これを似するに多分時宜は差し置きて、不律儀を似するばかりなり。よき所に心付けば、何事もよき手本師匠となる事に候由。
【 訳 】
石田一鼎(儒者)の言うところでは、習字の際、よい手本に似せて一生懸命練習すれば、悪筆家も一応見られる文字が書けるようになるということだ。
奉公人にしても、よい奉公人を手本にしたら、まあまあのところまでいくだろう。近頃は、奉公人のよい手本になるような者が居ない。だから、自ら手本を作って練習するのがよかろう。作り方は、礼儀作法一式は誰それ、勇気は誰、物の言い方は誰、品行の正しいのは誰、律儀な人は誰、いち早く度胸を決めるのは誰、といった具合に多くの人の中から、それぞれの長所や特徴を選んで学び取るようにすれば、結果として、よい手本が出来ようというものだ。
全ての芸事においても、先生のよいところは学びにくく、悪い癖などばかり弟子が引き継いで真似をしがちだが、言うまでもなくこうした事は何の役にも立たない。礼儀は正しいが、律儀でない人が居る。これを見習う場合、とかく礼儀のほうを差し置いて、律儀でない点だけを真似しがちである。他人のよい点に気がつくようになれば、誰しもよい手本、立派な先生となるだろう。
如何にも日本的な「教え」だとは思われませんか。古来、我が国の物事の捉え方には、「人間は誰しも時として過ちを犯す不完全な生き物である」との諦観(本質を見究めること)が出発点にあるような気がします。それが、「一生が修行」といった表現となって現れているのではないでしょうか。
弟子は「師匠」と心に決めた人の真似から始まり、日々修行を積んで自ら学び取り、いつの日か師匠を超えることによって「恩返し」をする。好きですね、こうした「伝承法」。
教育界は、なぜこうした日本古来の伝承法を取り入れないのでしょうか。武芸者が免許皆伝を得るまでを描いた昔の映画などを観ると、おおむね師匠は決して「教え」たりしません。見よう見まねで弟子自ら「学び取る」まで見守っているだけです。これは意地悪から教えないのではなく、幾ら教えても弟子自らが体得しない限り、身につかないことを知っているからでしょう。
弟子が開眼した瞬間、師匠は「よくここまで精進した。もうこれで儂からお前に教えることは何もない。後をよろしく頼む。」と言い、満足そうに秘蔵の巻物を弟子に引き継ぐ。
まあ、映画での話ですから、この際、史実に沿っているかどうかが問題でなく、その「こころ」がこうして現在に伝わっていることの方が重要だろうと思うのです。
そして、先人は、個としての人間各々は考え方も能力も適性もみんな違うことを理解していたのでしょうね。だから、それを束ねる(有機的な組織化)ことで「完全」に近づけようとした。西洋流合理主義を基礎とするグローバリズムという名の組織の画一化とは対極にある物事の捉え方ではないでしょうか。
この「教訓」を読み返すうちに、四年前のことが思い出されました。会社を辞めて年金生活者の仲間入りをした際、失業保険受給資格があると教えられ、邪な欲望が湧いてきたのです。
自分から辞めかつ再就職する気などさらさらないくせに、金銭欲に駆られた目をギラギラさせて新宿ハローワークへ行くと、受給には条件があって、再就職活動をせねばならないとのこと。お役人さま、そんなご無体な!弱い者いぢめはご勘弁を。などと、品行方正なわたくしが無論口にするはずもありません。
するとどうでしょう、見捨てる神あらば救いの神あり。そのお役人さまがおっしゃるには、品川ハローワークで開催中の「中高年齢者(40歳以上)の為の再就職講座」を受講すれば再就職活動したことになるのだそうです。さすがは慈悲深い日本のお役人さま、こちらのハラを見透かしてか憎いことをおっしゃってくれるではありませんか。二つ返事で承諾したのは言うまでもないことであるのである。
さて、再就職を目指すに際して、各自が有利と思う点(長所)と不利な点(短所)を挙げてみよ、という「御題」を頂戴致しました。而して、おおむねみんなに共通する有利な点は「社会経験がある」、不利な点が「再就職するには年齢が高過ぎる」、でした。
こうして話し合うまで、まったく気づかなかったのですが、これってある種の「代償」の関係ですよね。有利な点(社会経験)を獲得するには、時間という「代償」を払わなければならなかった。そのために、歳を取ってしまったのでした。
つまり、短所・欠点と思い込んでいることも、発想を変えるだけで実は長所・優点なのだ、ということがようやく理解出来たのです。
50人あまりの同期生たちの再就職結果は、どうであったか?
結論から申し上げますと、有利・不利、長所・短所などまったくの思い込みに過ぎず、「何が何でも再就職したい」という一念だけが栄冠を勝ち得たと言って過言ではありません。
最後まで残った落ちこぼれ7人衆の一人が誰あろう、このわたくしであったことは、賢明な閲覧者のみなさまなら、容易に予見なさったことでありましょう。まことにそのとおりであります。
落ちこぼれ7人衆の特徴は、やる気がない、文句が多い、自分を過大に評価したがる、といったところか。わたくしの場合、大きな声では言えませんが、端から就職する気などなかったですからね。当然の報いでした。
ありがとうございました。
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