☆ 自分の定見を持たないこと
一世帶を構ふるがわろきなり。精を出して見解などのあれば、はや濟まして居る故間違ふなり。尤も精を出して先づ種子は慥かに握つて、さてそれの熟する樣にと修行する事は、一生止むる事はならず。
見つけたる分にて、その位に叶ふ事は思ひもよらず、只これも非也非也と思ふて、何としたらば道に叶ふべきやと一生採促し、心を守て打ち置く事なく、修行仕るべきなり。この内に即ち道はあるなりと。
【 訳 】
固定的な考え(固定観念)をもつのが悪いのである。精進して定見などできると、もうそれで終わったと早合点してしまうからだめなのだ。精進に精進を重ねて、まず基本的なことだけしっかり自分のものとし、やがてそれが成熟するように心がけて修行することである。とにかく修行は一生やめてはいけない。
自分で見出したぐらいのものをもって、これでもうよいと思うことなど、とんでもない話だ。あれもこれもまだまだと思って、どうしたら真実を発見できるかと、一生それを探し求め、心から修行すべきなのである。こうした修行のうちにこそ、つまりは真の道理といったものが見出されるのである。
やっぱり、「人生は一生が修行」です。
ありがとうございました。
コメント