☆ 過ちの一つもない人間は、信用できない
何がし立身御僉議の時、この前酒狂(さけぐるひ)仕り候事これあり、立身無用の由衆議一決の時、何某申され候は、「一度誤(あやまり)これありたる者を御捨てなされ候ては、人は出來申すまじく候。一度誤りたる者はその誤を後悔致す故、隨分嗜み候て御用に立ち申し候。立身仰せ付けられ然るべき。」由申され候。
何がし申され候は、「その方御請合ひ候や。」と申され候。「成程某(それがし)受に立ち申し候。」と申され候。その時何れも、「何を以て受に御立ち候や。」と申され候。「一度誤りたる者に候故請(うけ)に立ち申し候。誤一度もなき者はあぶなく候。」と申され候に付て、立身仰せ付けられ候由。
【 訳 】
或人物の栄転を審議している時、その人物が以前酒に溺れていた事がわかったので、栄転させない事が衆議の結果決まりそうになった際、或人が言うには、「一度過ちを犯した者を、全く認めず捨ててしまわれては、優れた人物は出てこない。一度間違った者は、その間違いを後悔するから、何かと慎んで案外お役に立つようになるものだ。栄転を仰せ付けられてよい。」と述べた。
それに対して或人の言うには、「あなたが請け合うのか。」と。その人は、「勿論私が立派に請け合いましょう。」と言われたそうだ。その時、誰もが、「何の理由を以て請け合いなされるのか。」と言ったところ、その人は、「一度間違った者だから引き受けるのだ。過ちの一つもない者は、却って危なくて仕方がない。」と言われたので、栄転の事をお命じになったということである。
う~む、良くも悪くも、まさに「日本的」なる教訓でしょうね。そこには、“人間は過ちを犯す生き物である”という悟りの境地にも似た諦観がある。
西洋流合理主義での価値観からは、とうてい産み出し得ない不合理なる発想法ではないでしょうか。
それを非科学的だと一笑にふす者は、腹の底から嘲り笑うがいい。何時かは、自らの認識の間違いに気づく日が来るであろう。
ありがとうございました。
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