《 第16話 》 「さてどうなるか」
【 あらすじ 】 祝事務所の窓ガラスに「今夜動けば子供の命はない」というどくろ仮面からの脅迫状が書かれ、山本は今夜どくろ仮面にとって大切なことがあるに違いないと推理する。繁と木の実を探す五郎八は柳木邸で今夜7時に博士が政府に爆弾を預けることを聞かされる。
柳木博士邸。
あや子 「お父様、お風呂お入りになったら? 疲れがとれますから。ね、そうなすったら?」
博士 「うむ、あや子。この新聞の、赤星博士の傍に立っている黒衣の男、松田さんの話だと、助手の風間君を殺したのもこの男らしい。」
あや子 「ええ。でも、本当はどくろ仮面の仕業で、この黒衣の男はきっと配下の一人ですわ。」
博士 「残忍なことをするもんだ。」
あや子 「山本さん、よく勇気を出してお書きになったわ、この記事。」
博士 「うむ、新聞記者としての魂を最高に発揮してくれたわけだが・・・。これから何が起きるか・・・。」
とみ 「祝先生のところの袋さんが、急用でお見えになりました。」
あや子 「五郎八さんが?」
博士 「おお、そうか。」
とみ 五郎八に 「さ、どうぞ。」
博士 しょぼくれた五郎八に 「どうした、五郎八君。」
とみ すかさず 「ほかに何か御用は?」
あや子 「あっ、今夜は警察関係以外の方はどなたも面会をお断りしておいてちょうだい。」
とみ 「畏まりました。」と丁寧にお辞儀して下がる。
それを見届けた五郎八 「先生、大変なことになりました。」
あや子 「カボ子ちゃんに何か?」
五郎八 「いえ、カボ子ちゃんは元気です。実は繁君と木の実ちゃんが、どくろ一派の外国人にさらわれました。」
博士 「なに? それは本当か。」
あや子 「木の実ちゃんまで?」
五郎八 「ええ。はじめは僕も、ドライブに行ったものとタカをくくっていましたが、(どくろ仮面の脅迫状で)今夜動くと子供の命はない、と。僕の責任です。僕は祝先生に・・・。」と泣き出す。
博士 「そうか・・・。五郎八君、もういい。君が悪いんじゃない。君一人の責任じゃない。」
五郎八 「でも、僕が居眠りしてなかったら、こんな事にはならなかったんだ。」
あや子 「卑怯なのはどくろだわ。幾ら目的のためだからといって、何も子供たちまで・・・。」
台詞からは読めませんが、映像では、女中とみが三人の会話を盗み聞きしています。聴いてはならない話と予め知っているがためになおさらのこと、どくろ一味と怪しまれないよう、敢えて自分から席を外したわけ。なかなか手の込んだ「芝居」です。
博士をして「君が悪いんじゃない。」と言わしめたのは、単なる五郎八への慰め言葉というより、博士自身の開発したジョー発爆弾こそが次々に起こる“事件”の元凶、という、強い自責の念が心底にあることを見逃すわけにはいきません。
さて、どくろ仮面の「手口」を突き詰めると、人間(ここでは日本人に限定しても良い)とは、どんな人物が信用され信頼を勝ち取ることができるかという難問に、極めて単純明快な「解答」を与えてくれています。どくろ仮面は、目的達成の一手段にすぎない「偽装」を、その飽くなき探究心により、完璧に近いものにまで高めているのです。敵ながらあっぱれ、と感服せざるを得ません。
「葉隠」にもそのヒントがあります。つまり、人々を信頼させるのは、「やさしさ(思いやり)」を秘めた「うやうやしく」という語に代表される恭謙な態度ということでした。これとは相反する「苦み」が人を寄せつけぬ威厳を醸し、この二律背反する要素を包むものが物静かな、落ち着いた態度である、と三島由紀夫は述べています。
本物の「武士」は、これら相反する要素を兼ね備えていたから、近寄り難いが頼り甲斐があり、物腰静かであったということかもしれませんね。これは、昔の「小父さん」像に連なっていると思います。
たかが子供向けTV映画、されど見方によっては“宝の山”。とても勉強になります。
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