■ 第四課 文字の音(おん)と訓(くん)
國語を書きあらはす文字には、本字と假名とあり。本字は、遠き昔に、支那にて作りたるものなるが、又、之に倣ひて、内地にて作りたるものもあり。假名は全く内地にて作りたるものなり。支那にて作りたる本字を漢字と云ふ。
漢字には音と訓とあり。即ち土(ど)・石(せき)・木(もく)・金(きん)は音にして、土(つち)・石(いし)・木(き)・金(かね)は訓、雨(う)・水(すい)・雲(うん)・雪(せつ)は音にして、雨(あめ)・水(みづ)・雲(くも)・雪(ゆき)は訓なり。我が國語には、音と訓と併せ用ひらる。
内地にて作りたる本字は、畠(はた)・噺(はなし)・峠(たうげ)・働(はたらき)・叺(かます)・枡(ます)の類にして、之を和字と云ふ。和字には多く訓のみありて、音あるは甚だ少なし。
一の漢字には一の音あるのみにあらずして、二三の音あるものあり。京都(きやうと)・京城(けいじやう)・改正(かいせい)・大正(たいしやう)・行為(かうゐ)・行儀(ぎやうぎ)・安在所(あんざいしよ)等を見て之を知るべし。
二つ以上の本字にて、一つの言葉を書きあらはす時には、其の本字をすべて音にて讀むことあり、又、すべて訓にて讀むことあり、或は音と訓とを交ふることあり。京城・行為・大正の如きは、皆、音にて讀むもの、受取・塗物・問合の如きは、皆、訓にて讀むもの、團子(だんご)・敷地(しきち)・唐箕・重箱の如きは、音訓交へ用るものなり。
本字にて書きあらはしたる語の讀み方は、それぞれ皆きまり居るものなれば、勝手に讀むべきものにあらず。
・ 練 習
一、二つ以上の本字で、一つの言葉を書きあらはす時の讀み方をお話しなさい。
二、次の本字の讀み方は、どれが音で、どれが訓ですか。
國(こく)、國(くに)。人(ひと)、人(にん)。
時(じ)、時(とき)。動(どう)、動(うごく)。
開(かい)、開(ひらく)。位(くらゐ)、位(ゐ)。
振り仮名の「現代仮名遣い」を、歴史的仮名遣いに改めました。管理者の加筆か原文どおりか判然としませんが、文章自体が歴史的仮名遣いで書かれているので、統一させていただきました。
保険販売の現場勤務の頃、台湾籍の営業職員がおりました。興味があって、日本語の何が難しいか聞いたことがあります。
彼女の回答は、ジャ~ン。何と「漢字」、だって。
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
要は、音読み訓読みに加え、音読みでも「漢音」「呉音」があるほか、「五月蠅(うるさ)い」などの当て字(?)が出てきたりで、大そう難儀ということらしいのです。言われてみれば、ごく少数の例外を除いて、支那語の「読み」は一つしかありませんね。
日本語を母国語とする私たちは、幼い時から慣れ親しんでいて、何の疑問も感じませんが、外国人にとっては甚だ複雑で難しい言語なのかもしれません。戦後GHQが、日本語をローマ字表記化しかねなかったのは、自分たちの都合もあったでしょうが、善意に解釈すれば、こんな厄介な言語を子どもが簡単に覚えられるはずがない、と見くびったフシもある気がします。米国流合理主義者が考えそうなことです。
複雑な言語を読み書きできるのも、ご先祖様のおかげ、感謝!!
ありがとうございました。
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