第五學年用第二三課「兒島高德」(岡野貞一曲)
一、船坂山(ふなさかやま)や杉坂(すぎさか)と、
御(み)あと慕(した)ひて院(ゐん)の庄(しやう)、
微衷(びちゆう)をいかで聞(きこ)えんと、
櫻(さくら)の幹(みき)に十字(じふじ)の詩(し)。
『天勾踐(てんこうせん)を空(むな)しうする莫(なか)れ、
時范蠡(ときはんれい)無(な)きにしも非(あら)ず。』
二、御心(みこころ)ならぬいでましの
御袖(みそで)露(つゆ)けき朝戸出(あさとで)に、
誦(ずん)じて笑(ゑ)ますかしこさよ、
櫻(さくら)の幹(みき)の十字(じふじ)の詩(し)。
『天勾踐(てんこうせん)を空(むな)しうする莫(なか)れ、
時范蠡(ときはんれい)無(な)きにしも非(あら)ず。』
兒島高德という人は、この唱歌を聴くまで知りませんでした。南北朝時代の尊皇の士らしいですね。堂々とした好きな唱歌です。
この歌と何の関係もないものの、國民學校初等科音樂一(第三學年用)に「田道間守(たぢまもり)」があります。日本書紀に出て来ます。長い間、常世の國をさまよい、やっと見つけた目的の果実を大君(垂仁天皇)に献げようとしたところ、すでにおかくれになっていた、という話です。
その果実のもとが「橘」で、我が母校(高校)の校章になっており、この言い伝えが元らしいです。
これも関係ありませんが、田道間守はお菓子の神様だそうです。
ありがとうございました。
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