カラヤン(Karajan,Herbert von)='08年生~'89年没
カイルベルト(Keilberth,Joseph)='08年生~'68年没
ともにドイツの指揮者で、何度か来日しており、古典音楽愛好家にはよく名が知られているはずです。同年生まれの二人ですが、「生き方」が対照的であったように思われ、そこに大いなる興味がわきます。
三大Bと称されるバッハ、ベートーベン、ブラームス(個人的にはブルックナーを加えて四大Bとしたい)を愛する私にとって、これらを感動的に聴かせてくれる指揮者でなければなりません。
ベートーベン「交響曲第七番」を同じベルリンフィルで聴き比べてみました。私は、断然カイルベルト派に属します。ドイツ音楽の正統継承者は、こちらのほうと勝手に決め込んでいます。
カラヤンは、スポーツカーでぶっ飛ばす爽快感があり、ミスのない緻密な演奏でカッコいいのですが、ただそれだけで心に残りません。一方のカイルベルトは、頑固親父がへたくそな指揮棒を夢中で振り回しているようで、ミスも多く荒削りな演奏ですが、最後の音が鳴り止んだ瞬間、興奮の極限に達し、スピーカに向かって思わず拍手を送りたくなります。
あくまで主観ですが、前者から「こんなの、軽いもんよ。」という芸術より興行面を優先する打算が透けます。後者からは、汗まみれになってひたすら音楽に没頭する姿を想像します。前者が「見せる」指揮なら、後者は「聴かせる」指揮なのでしょう。
或る音楽評論家は、前者を評して「音楽界の辣腕セールスマン」、後者を「伝統墨守の芸術職人」と呼んでいました。
カラヤンは大衆にも人気があった人で、一部の愛好家だけでなく、古典音楽を一般大衆にまで広めた功績は認めざるを得ません。ただ、ナチスに擦り寄って著名楽団を手中に収め、「時代の寵児」として音楽界に君臨し、私生活で自家用ジェット機を乗り回す生き方に、彼の「音楽」にまで不信感を抱いてしまいます。
カイルベルトは地味な人でした。日本では隠れた人気があったものの出世せず、いつも田舎楽団の親方どまり。オペラの本番中に心臓発作で倒れ、そのまま不帰の人となりました。
自分のためでなく、他人(聴衆)のために生きてきた彼の人生を物語っているようで、そこに共感を覚えるのであります。
カラヤンの生き方が「ホリエモン」とダブります。対するカイルベルトは、「草莽の田舎職人」でしょうか。誰もが「カラヤン」になれるわけではありません。少なくとも自分は「カイルベルト」でありたいと考えます。
2007年4月4日(水)の記事
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