「いじめ」は私の子供時分からあったし、昔から既にあった事象に違いない。ただ、昔は「自殺」までには至らなかったように思う。
「いじめ」は、より弱い者に向けられる連鎖行動である。しかし、弱い者が、みんないじめられるわけではない。「勇気」を持てば、いじめの連鎖を断ち切れる。
幼児期は悪ガキによくいじめられた。卑怯にもその憂さを妹弟に向けていた。ところが、弟は及ばずながらも抵抗した。だから、いじめようがなかった。
強くなる秘訣は「勇気」。結果を恐れず戦う気概である。弱者でも、気持一つで「勇気」を持つことが出来る。
現代日本人は、「勇気」をなくしている。世の中全体に「いじめ」と「甘え」が蔓延している。大人たちがこうした「悪」と戦わずに逃げ回る状況下で、子供たちに「戦え!」と言っても、所詮は無理な要求である。
昔の大人たちは、世の中の「悪」と戦う「勇気」があったのではないか。これが、「自殺」の「歯止め」になっていたような気がする。
「勇気」の源泉は何だろう?
そのヒントは、「一人では生きられない」にあると思う。「一人では生きられない」からこそ、お互いが助け合って生きなければならない。その知恵の結晶が『教育勅語』である、と考えている。
夫婦の関係は「二人合わせて一人前」とも言える。もっと大きく見れば、日本は全国民を合わせてはじめて「国家として一人前」、ということ。日本人同士は、みんな「自分」だという連帯感だ。小さくは家族=自分、大きくは国家=自分、そんな仲間意識から「勇気」が生まれると信じる。
人間の生命は尊い
まったく、そのとおり。しかし、それは「己の生命が尊い」からではない。居なくなったら困る人(例えば家族)がいるから尊い。他人を幸せにしている存在だから尊いのだ。気づかずとも、誰しも世の中の役に立っている。
誰かがいじめられているのを見たら、それは「自分」だ。「勇気」を以て戦うように叱咤激励しよう。いじめる方も「自分」だ。弱者をいじめるのは「卑怯者」と叱責し、止めさせよう。
残念ながら、今後も「いじめ」はなくならないだろう。世の中の「悪」を絶対に許さない!! みんなが力を合わせ、「勇気」を以て「いじめ」と戦うことだ。「いじめ」に対する対処法を身に付け、その都度、根を叩き潰していく以外にないのではないか。
2006年11月8日(水)の記事
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