先ほど、昼食を済ませ、家に戻って来たところです。途中で、心和む光景と迷惑な場面の両方に出くわしました。
都会の雑踏の中で、若い女性が道路のゴミ拾いをしていました。服装からして職業的清掃員ではない、と思われます。人目を憚らず、また自己の利益も省みず、人が嫌がることになぜ没頭できるのか。おそらく、そこに「私心」がないからでしょう。溺れた人を見て、自己の生命を省みずとっさに飛び込むのと同じ、理屈ではない崇高さを感じました。
昨夜の「人間の杜」に出演されたインド人お三方とも、「日本人は助け合って生きている」と異口同音に、日本人の特性を語っておられました。これは、直接の文言は出てこないものの、『教育勅語』が目指した究極の社会ではないか、と考えています。
お互いが助け合えるのは、感謝の気持が源泉にあると思います。「お互い様」の感覚が身に付いている証拠でしょうね。
その一方で、右翼街宣車が大音響の軍歌を響かせ、通り過ぎていきました。軍歌好きな私でも、これには閉口です。そもそも右翼も左翼も、職業的な活動家は、他人のことなどちっとも考えてはいないようです。お互いを誹謗中傷し合って、それで自己満足している。それこそ、真面目に考えている人々には、はた迷惑な話です。自分で自分の首を絞めていることが、わからないのでしょうね。
この二つの出来事をとおして、日本人が何を好み、何を嫌うか、の一端を見る思いがしました。
2006年10月31日(火)の記事
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