今日(4月28日)は、『主権回復記念日』(1952年)なのだとか。4歳の幼児に過ぎなかった自分に、当時の情況を判断できるほどの能力があろうはずがない。ただ、国旗が自由に掲げられるようになったと、両親が喜んでいたのは憶えている。爾来、祝祭日はもとより、入学・卒業式など家族内慶事にも国旗が掲揚されるようになった。国旗係は男児の役割、当然のこととして嫡男たるおのれが務めることになる。関東へ移住した1962年夏以降、運輸省官舎や団地住いとなったため、国旗掲揚の習慣は自然消滅してしまった。
然るに、本当に「(国家)主権」は回復したのだろうか。当時の祝賀ムードに比べると、確実に「主権」という意識が希薄になっているように感じる。太陽や大地・酸素などとの自然現象と同様に、人類生存必須要件の一つのように【存在して当たり前】といった固定観念に憑りつかれてはいまいか。尤も、「主権」がテーマではないので、これ以上の追究はしない。
本稿では、国家主権以前の、国家の存在意義(仏語;raison d'être)について考察してみたい。国家に限らず、あらゆる組織や個人にあっても、その存在意義は「正義の実践」あるのみ、と考えている。この考えは、子供の頃から一貫して変わっていない。「正義」とは、辞書に依れば【人道に適って正しいこと】となっている。つまり、子供の頃は「正義」の何たるかを知らぬまま、「正義の味方」というだけで、『赤胴鈴之助』や『月光仮面』を聴いたり視たりしていたわけだ。
■JOKR(現TBS)ラジオドラマ『赤胴鈴之助』主題歌
藤原信人作詞/金子三雄作曲
一、剣をとっては 日本一に
夢は大きな 少年剣士
親はいないが 元気な笑顔
弱い人には 味方する
おう! がんばれ 頼むぞ
ぼくらの仲間 赤胴鈴之助
三、山は夕やけ 一番星は
母によく似た きれいな瞳(ひとみ)
つらいときにも 勇気を出して
正しい事を やりとおす
おう! がんばれ 強いぞ
ぼくらの仲間 赤胴鈴之助
■KR-TV(現TBS)テレビドラマ『月光仮面』主題歌
川内康範作詞/小川寛興作曲
一、どこの誰かは 知らないけれど
誰もがみんな 知っている
月光仮面の おじさんは
正義の味方よ よい人よ
疾風のように 現れて
疾風のように 去ってゆく
月光仮面は 誰でしょう
月光仮面は 誰でしょう
三、どこで生まれて 育ってきたか
誰もが知らない なぞの人
電光石火(でんこうせっか)の 早わざで
今日も走らす オートバイ
この世の悪に かんぜんと
戦いいどんで 去ってゆく
月光仮面は 誰でしょう
月光仮面は 誰でしょう
「正義」の定義は抽象的で曖昧だから、人(国)それぞれに一様ではなかろう。しかし、自分自身は上記の歌詞から漠然と【虐げられた弱者(≒善良な庶民)を救け、横暴な強者(≒悪人ばら)を挫く】のが「正義」と心得てきた。それが我国民精神の屋台骨となって今日まで受け継がれてきた理由までは承知していなかった。人間の生存本能は、理窟や論理・政治イデオロギーなどの埒外と思うからだ。
そんな折も折、「なるほど、そうか」と、膝を叩いて合点がいったのが、次のTaiwanVoice配信動画である。
【小国の処世術】中国への挑戦状...リトアニア
東欧版“一体一路"から脱退のワケ
キャスター;林建良(元在日台湾同郷会会長)
会員ではないので途中までで終了するが、要するに「〝弱い者いじめ″への対処法」と全く同じなのだ。一般に【弱者は強者に敵わない】と思っている。それが悪意ある強者の術中に陥る初歩段階である。考えてもみよかし。善良な強者(例;月光仮面)なら〝弱い者いじめ″など端からしない。「正義の味方」という誇りがあるからだ。
而して中共の首魁たる習近平はどうか。習近平対ウイグル(東トルキスタン)人、チベット人、モンゴル人、香港人、台湾人等を一見して、どちらが「強者」かは一目瞭然であろう。我国の「正義」に照らして、「敵」を見誤りようもあるまい。我国の「敵」でもあり、広く全人類の「敵」とは、習近平中共とそれに加担するグローバリストユダヤ資本家に他ならない。中共に加担する我国政財官学マスコミ界の媚中派連中も敵性人物として糾弾せねばなるまい。
ところで、「正義」の対義語は「不義」である。その意味は、【人道に外れた行い】が辞書的解釈とされる。では、習近平はおのれの政策を「不義」と認識しているのであろうか。〝盗人にも三分の理″という俚諺があるように、そうではあるまい。
その昔、『紅孔雀』というNHKラジオドラマがあった。放送された1954年当時、未だ六歳児だったこともあって、ラジオの記憶は薄い。ただ、東映で映画化されたDVDを保有している関係上、今はよく知っている。簡単に言うと、戦国時代、白鳥党VSされこうべ(髑髏)党の争いを描いた架空の物語である。劇中、髑髏党盟主に祭り上げられた盲目浮寝丸(東千代之介)が「白鳥党は正義の党」と言うのに対し、髑髏党一味の黒刀自(毛利菊枝)が「髑髏党とて正義の党」と反論する場面が強く印象にある。お互いに「正義」を名乗り合っても、中身が違うのだ。
習近平の言う「正義」の中身は、おそらく中国共産党による世界支配(覇権獲得)に相違あるまい。つまり、孔子が正道と説いた「王道」ではなく、邪道でしかない「覇道」を目指そうとしているのだ。換言すれば、弱者(他者)を一顧だにしない単なる強者の自己満足(エゴイズム)に過ぎなかろう。動画にもあるように、こんな世俗に毒された人物を誰が尊敬(リスペクト)しよう。習近平に中国人民が首を垂れるのは、国家主席・党総書記という「肩書」に対してであって彼の「(邪な)人格」では決してないと、いち早く察知すべし。
『平家物語』に出て来るとおり、世の中は【盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、・・・。】なのである。
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