明9日が弟の三回忌に当たるので、妹夫婦とともに北総線小室にある我家の墓へ詣でた。ついでと言ってはアレだが、それに先立ち、来週からのタイ旅行に備え、下見を兼ねて成田空港まで行ってみた。
京王線初台~九段下間は、朝の通勤通学時間帯と重なってそれなりの混雑だ。しかし、馬喰横山で都営浅草線東日本橋に乗り換えると、座れるほどに空いてくる。人の流れとは逆方向だからだろう。
空港は、昔の喧噪がウソみたいに人影まばら。TG(タイ国際航空)のチェックインカウンターFには搭乗客が一人も無し、というありさま。最も混雑するはずの出発一時間前ですよ。旅客は増えてるにも係わらず、この状況は、ターミナルが三カ所に分散し、羽田空港国際線復活の本格化が背景にあると思う。それと、みんな旅慣れて行動がスマートになったのでしょうね。
北習志野で昼食を済ませ、東葉線北習志野から東西線経由で帰宅した。西船橋~東陽町の快速区間は、全線開業(1969年)当時、田圃の中を全速力で駆け抜ける感じだったが、今や田圃など何処にもなく、一面のベッドタウンへと変貌を遂げている。
さて、“ご当地ソング”は東京の巻。
昭和58年(1983)以降、西新宿のマンションに居を構えているが、学生時分の半年間ほど葛飾金町駅前団地に、東京・荻窪支社管内へ転勤になって小平市の代用社宅に住んでいたこともある。
そもそも地方都市でもない東京を、“ご当地”と呼べるかはさておき、【東京】を冠した歌だけでも夥しい数に昇る。これに旧名【江戸】や特定地名・駅名などを加えれば数え切れない。
東京市歌(高田耕甫作詞/山田耕作作曲)・・・1926年
東京都歌(原田重久作詞深尾須磨子補作/加須屋博作曲)・・・1947年
東京音頭(西條八十作詞/中山晋平作曲)
東村山音頭(土屋忠司作詞/細川潤一作曲)
東京節「パイノパイノパイ」(添田さつき作詞/Henry Clay Work作曲)
蒲田行進曲(堀内敬三作詞/Rodlf Friml作曲)
東京行進曲(西條八十作詞/中山晋平作曲/佐藤千夜子唄)
東京ラプソディ(門田ゆたか作詞/古賀政男作曲/藤山一郎唄)
東京ブギウギ(鈴木勝作詞/服部良一作曲/笠置シヅ子唄)・・・1948年
銀座カンカン娘(佐伯孝夫作詞/服部良一作曲/高峰秀子唄)
有楽町で逢いましょう(佐伯孝夫作詞/吉田正作曲/フランク永井唄)
東京だヨおっ母さん(野村俊夫作詞/船村徹作曲/島倉千代子唄)
銀座の恋の物語(大高ひさを作詞/鏑木創作曲/石原裕次郎ほか唄)
あヽ上野駅(関山義明作詞/荒井英一作曲/井沢八郎唄)・・・1964年
ラブユー東京(上原尚作詞/中川博之作曲/黒沢明とロス・プリモス)
神田川(喜多条忠作詞/南こうせつ作曲/かぐや姫唄)・・・1973年
TOKIO(糸井重里作詞/加瀬邦彦作曲/沢田研二唄)・・・1980年
“東京市歌・都歌”なるものがあるなんて知らなかった。戦前と戦後では、何が同じで何が違うか、聴き比べてみればその一端が解るかもしれない。
東京市歌
東京都歌
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