背番号【32】は、直ぐに思い浮かぶ選手がおらず、殆ど馴染みがない。昔は控え選手の背番号だったせいもあろう。現役では楽天へFA移籍した浅村内野手が高卒入団直後から暫く着けていたので知ってるぐらい。
背番号【32】の系譜-守備/出場無は当該背番号時に限定
01.手代木一彦(内野手/出場無し)・・・1951
02.永岡清正(内野手/出場無し)・・・1952-1953
03.野中靖矩(?)・・・1955
04.西原恭治(左投手)・・・1956-1958
05.高野統(投手)・・・1959-1960
06.橋野昭南(左投手・外野手)・・・1961-1971
07.才所俊郎(内・外野手)・・・1972
08.山口富夫(右投手/出場無し)・・・1973-1975
09.浜村孝(内野手/出場無し)・・・1976-1977
10.奥宮種男(捕手)・・・1978
11.ロー(?)・・・1979
12.吉本博(捕手・外野手)・・・1980-1982
13.石井毅(右投手)・・・1983-1988
14.原口哲也(右投手)・・・1989-1993
15.松井稼頭央(内野手)・・・1994-1996
16.犬伏稔昌(内野手/出場無し)・・・1997-2000
17.ミゲール・デルトロ(右投手)・・・2001
18.細見和史(右投手)・・・2003
19.石井義人(内野手・指名打者)・・・2004-2007
20.浅村栄斗(内野手)・・・2009-2016
21.永江恭平(内野手)・・・2017-2019
名前を知ってるのは、「15」「20」ぐらいしか居ない。今年から二軍監督の松井選手のこの背番号は、高卒入団直後に着けていた。
背番号【33】なら、現役のライオンズ四番打者山川選手だろう。古いところでは東映フライヤーズ一筋の毒島章一外野手を憶えている。実際のプレーも平和台球場で目撃している。毎日オリオンズの榎本喜八内野手と並んで、一二塁間真ん中を図ったように破る名人だった。榎本選手現役最後は我がライオンズ。毒島選手も引退後、東映(日拓)コーチを経てライオンズのコーチ、スカウトとして辣腕を振るうことになるのだから、野球人生はわからない。
背番号【33】の系譜-守備/出場無は当該背番号時に限定
01.清原初男(内野手)・・・1951-1952
02.神高義幸(外野手/出場無し)・・・1953
03.有吉洋雅(右投手・外野手)・・・1955-1958
04.桑原庄治(左投手)・・・1959-1960
05.山野本忠志(右投手/出場無し)・・・1961
06.伊藤光四郎(外・内野手)・・・1962
07.神原隆彦(捕手)・・・1964-1966
08.菊川昭二郎(内野手)・・・1968-1972
09.倉田隆司(内野手/出場無し)・・・1973
10.山村善則(内野手)・・・1974-1975
11.加倉一馬(外野手/出場無し)・・・1976-1978
12.黒原祐二(右投手/出場無し)・・・1979-1981
13.鈴木孝行(左投手)・・・1982
14.成田幸洋(右投手)・・・1983-1986
15.立花義家(外野手・指名打者)・・・1987-1991
16.垣内哲也(外野手・捕手・指名打者)・・・1992-1994
17.ロット・ブリューワ(外野手)・・・1994
18.富岡久貴(左投手)・・・1995-1997
19.テリー・ブロス(右投手)・・・1998-1999
20.玉野宏昌(内野手)・・・2000-2004
21.江藤智(内野手・指名打者)・・・2006-2009
22.星秀和(外野手・指名打者)・・・2010-2013
23.山川穂高(内野手)・・・2014-2019
知ってるのは、「06」「10」「15」「16」「21」「23」。伊藤選手は阪神から移籍してきた選手。移籍初年度(1962年)だけこの番号だったが、翌年以降【1】を着けていたから、【1】のイメージが強い。立花選手も【34】かと思ったら、後年【33】へ変更になったのですね。。
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