定年退職してかれこれ10年。毎日が休日と同じだから、槍が降ろうと鉄砲が来ようと屁の河童である。ところが、今回の台風18号だけは参ってしまった。というのも、雨雪に弱い衛星放送の弱点がモロに出て、録画に失敗してしまうのだ。電波に余り影響ない風のほうは大したことないくせして、とにかく降雨量が凄まじい。「雨雲レーダー」をみたら、当地(新宿)は何と豪雨を示す真っ赤っかに塗り潰されていた。
熱帯性気象なのでタイのスコールに似てなくもないが、スコールなら長くてせいぜい一時間もすれば降り止み、一転して澄みきった青空が広がる。それに比べると、今度の台風はかなり陰湿である。バケツをひっくり返したような大雨が断続して降った。録画といっても、一日せいぜい5・6番組程度にすぎない。ところが、決まって録画中に集中豪雨となるから困りものである。悪質な計画的犯行(?)と言わざるを得ない。それでも有料放送の多くの番組は、大抵リピート(再)放送される。それがせめてもの救いである。
自分が生まれ育った九州地方は“台風銀座”と呼ばれ、毎年幾多の被害に見舞われていた。事実、小五時分には同級生が台風で落命したのを目の当たりにしている。ただ、幸か不幸か、自分の家は小高い山間にあったので、甚大な影響を被った記憶がない。そんなわけで、台風が来ると学校が休みになるし、むしろ喜んでいた不謹慎者には違いない。
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話変わって、今度はお得意の“懐メロ”ですよ。然りとてクラシック(古典)音楽の話題だから、“想い出曲”としたほうが適切かもしれない。例え建前にせよ、クラシック音楽にはポピュラー音楽(含;歌謡曲)のような流行り廃りがなく、普遍的に耳にする機会があって“懐かしさ”に駆り立てられることなどまずないからだ。
とは言え、クラシック音楽界にも多少の流行があるようだ。録音技術の発達やメディアの多様化に伴い、サロン風室内楽・独奏曲から派手な大曲へと業界志向は変化している。また、貴族等一部特権階級向けの音楽が、今や自分みたいな一般大衆・庶民も広く聴くようになったのだから、作曲法・演奏法まで違ってきている。
まぁ、そんなことは論旨に関係ないが、自分の子供時分は敗戦への反動からかロシア(ソ連)音楽とか、また別の意味では陰鬱な曲より明朗快活な曲が流行った気がする。昭和20年代末当時、自分が音楽を聴く機会はラヂオのみに限られていた。その頃(福岡在住)、確かRKB毎日放送と思うが、午前七時台に「今朝のニュース」という番組があり、そのテーマ曲がヨハン・シュトラウスⅡ作曲《ワルツ「朝の新聞」》だった。もちろん、ずっと後年になるまで曲名は知らなかったが、登校前の慌ただしさを和ませる典雅な演奏が今なお耳に残っている。確証はないが、クレメンス・クラウス/ウィーン・フィル盤だったに違いない。
ウィンナワルツやポルカの類は、ほかにも想い出がある。大分在住(昭和32~37年)の頃、通う小学校の給食時には、《アンネンポルカ》が流れていた。これもクレメンス・クラウス/ウィーン・フィル盤だったろう。そう思わせるほど、このコンビによる演奏は堂に入っていて、如何にもウィーン風なのである。
ヨハン・シュトラウスⅡ作曲《アンネンポルカ》
by クレメンス・クラウス指揮ウィーン・フィル
そんなわけでウィンナワルツやポルカは今でも大好きで、なかんずく上記コンビの演奏を激しく好む。1991年(平成3年)だったか、初めての欧州旅行時の最初の訪問地がウィーン。その際に搭乗したのがオーストリア航空のA310。ウィーン・シュベヒャート空港へアプローチ中、機内にヨハン・シュトラウスⅡの《ジプシー男爵/入場行進曲》が流れて胸がワクワクしたものである。以来、欧州へは都合五回ほど旅したが、毎回必ずウィーンに立ち寄っている。
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