11月19日付「編集手帳」
大昔、神前に供える酒は女性がコメを噛み砕き、唾液で発酵させた。民俗学者の柳田国男によれば主婦を「オカミ」と呼ぶのも、酒造りの職人「杜氏(とうじ)」と主婦を表す古語「刀自(とじ)」が似た音であるのも、そこに由来するという。
◆ いける口のご亭主にしてみれば、うまい酒を造ってくれる杜氏さんと、「また飲んだの?」と鋭くひと睨みする刀自さんが同根の語とは、いささか不思議に思えるかも知れない。
◆ 杜氏が新酒を醸す寒造りの季節であり、ボージョレ・ヌーボーの解禁は迫り、忘年会のうわさもちらほら聞こえてくる時期である。左党に乾杯の口上を申し上げたいところだが、酒の飲み方を知らぬ馬鹿者(ばかもの)が多いこの冬は言葉が浮かばない。
◆ 残忍きわまる酒酔いひき逃げ・引きずり事件のあとは、警視庁警視の泥酔当て逃げだという。飲酒運転撲滅キャンペーンを担当していたと聞いて耳を疑った人も多かろう。
◆ グラスや盃を手にする以上は、読んで字のごとく「刀自」、心に自ら刀をあてて身を律することを忘れまい。ひとの命を奪ってまで、自分の一生を台無しにしてまで、飲まねばならない酒がどこにある。
(2008年11月19日01時55分 読売新聞)
上記は、今日(19日)、昼餉に出かけた先の和食レストランで見つけた「讀賣新聞衛星版」の記事である。「杜氏」「刀自」の語源を勉強させてもらったが、我が国は昔から飲酒上の所業についての処置が甘いように思える。昔の人はまだ「我が身を律する」ことができていたので、それでよかったのかもしれない。
今は、その「自律心」も風前の灯火ではないか。現代社会を見るに付け、まさに「箍(たが)の外れた桶」状態を実感する。
コメント