☆ 実 践 (続き)
翌日の事は、前晩よりそれぞれ案じ、書きつけ置かれ候。これも諸事人より先にはかるべき心得なり。
何方へ兼約にて御出で候時は、前夜より向樣の事萬事萬端、挨拶話、時宜等の事迄案じ置かれ候。何方へ御同道申し候時分、御話に何方に參り候時は、先づ亭主の事をよく思ひ入りて行くがよし。和の道なり。禮儀なり。
又貴人などへ呼ばれ候時、苦勞に思ふて行けば座つき出來ぬものなり。さてさて忝なき事かな、さこそ面白かるべきと思ひ入りて行きたるがよし。
惣じて用事の外は、呼ばれぬ所へ行かぬがよし。招請に逢はば、さてもよき客振りかなと思はるる樣にせねば客にてはなし。いづれその座のすべを前方より服して行くが大事なり。酒などの事が第一なり。立ちしほが入つたものなり、飽かれもせず、早くもない樣にありたきなり。又常々の事にも、馳走など斟酌を仕過ごすも卻つてわろきなり。一度二度云ふて、その上には、それを取り持ちたるがよし。計らず行き懸りて留めらるる時などの心得もかくの如きなり。
【 訳 】
翌日の事は、前の晩から考えて書きつけておくがよい。これも万事人に先んじて予定を立てておくべき心得である。
殿は、何処かへお出かけなされる折は、前夜から先方の事をすべて調べ、挨拶や対話の内容も思案しておかれた。貴方方もこれを見習うべきで、何処へお伴を申しつけられても、或いはお話を伺いに参るときでも、まず先方の主人の事をよく考えて行くのがよい。これが、人の和をはかる道であり、また礼儀でもある。
或いは高貴な人から呼ばれたとき、嫌だと思って行ったりしては、座を取り持つことなど出来はしない。何とも有り難い、さぞ面白いだろうと思い込んで行がよい。
すべて用事の外は、呼ばれないところに行かないほうがよい。招待されたら、何とよいお客様振りだと思われるように出来ないようでは、客に行ったとは言えない。いずれにせよ、座の様子を前以て知って行くことが大切である。それには、酒の作法などがまずは第一番である。座の立ち方も大変なもので、飽きられることもなく、といって早く帰ってしまうようなことがないようにしたい。また平生、御馳走にあうとき、あまり遠慮しすぎるのも却って悪いことである。一、二度遠慮して、その上は御馳走になるのがよい。ふと行き会わせて引き止められたときの心得も、こうするがよい。
【 解 説 】
今も私が実行していることは、「翌日の事は、前晩よりそれぞれ案じ」という常朝の教えである。私自身は明くる日の予定を前の晩に細かくチェックして、それに必要な書類、伝言、或いはかけるべき電話などを、前の晩に書き抜いて、明くる日には一切心を煩わせぬように、スムーズに取り落としなく仕事が進むように気をつけている。これは私が『葉隠』から得た、甚だ実際的な教訓の一つである。
これは、現代にも通用する教えでしょう。子供時分には、翌日の準備を前の晩に済ませておくよう親から躾けられました。
一、明日着ていく服をきちんと畳んで枕元に置いておく。
一、学校へ持っていくものを鞄(ランドセル)に詰めておく。
寝る前に、母の点検がありました。さすがに、高学年になったらなくなりましたが、これが今でも習慣になっており、翌日の準備が億劫ということはありません。まことに有り難いことであります。
着るものを枕元に置いて寝るのは、面倒なようでも案外大切なことかもしれません。非常の際には気も動転して枕を抱えて逃げ回ると言われます。事実、自分は深夜の大地震に遭いました。そのとき、目の前に服があったので、あられもない恰好で外へ飛び出さずに済みました。
戦時中であれば、必要に駆られて自然に身についた心得でしょうが、太平の世で弛緩した精神状態にあっては、なかなか思い浮かばないことかもしれませんね。
後半の招待を受けたときの心得は、如何にも旧き佳き時代の日本を想起させてくれます。明治初期に来日した仏人画家ジョルジュ・ビゴーが、贈收者間を進物が行ったり来たりする風刺画を描いています。この所作こそ、律義な日本人の心情をよく表しているように思うのであります。
ありがとうございました。
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