同義語のように用いられるが、実は、微妙に違う。
権力(power) = 他人を強制し服従させる力
権威(authority)= 他の者を服従させる威力
「権力」は、他人の意向に関わらず、強制的に服従させる力である。これに対し、「権威」は、強制せずとも相手が受け入れて服従する力をもっている。前者は、政治の実権を握る者であり、後者は、聖職者や学者がこれに該当しよう。
得てして権威と権力は一体化することが多いが、日本は、二つが分離した国柄といわれる。権威は天皇にあり、政治権力は、時の盛者が握ってきた。万世一系の天皇をいただくおかげで、為政者(権力)は変われど、国体(国のあり方)は、神代の昔から変わらない。ご先祖様と同じ国体のなかで、暮らしていけるのである。なんと幸せなことだろう。
この有難さは、欧州や中国・朝鮮半島の歴史を見ればよくわかる。易姓革命の連続で、王朝(征服王)が交代するたびに、前体制は全否定され、焚書・破壊の繰り返しであった。生活を百八十度変えなければならなかったのである。権威でなく権力で国体が決まる、悲劇の典型を見て取ることができる。
権威の威力は、物理的な力(武力)を用いずとも、人々が受け入れ、従うところにある。天皇が権威たる所以は、まさにこれだ。ただひたすら、国民のため、世界平和のための、私利私欲を捨てたご存在であらせられるからこそ、誰もが崇敬するのである。
タイのプミポン国王も、タイ国民から強い崇敬をうけている。1970年代に、毛沢東思想に染まった市民・学生による反日不買運動が起きた際、国王は見かねて、「君たちが使っているのは何だ。車はトヨタ、マイクはヤマハではないか。誰のおかげで生活できているか、よく考えなさい。自分たちで作れるようになるまで、文句を言う資格はない。」と諭され、一同、国王の前にひれ伏したという。これが「権威」の威力である。
2006年2月24日(金)の記事
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